
ソウル水西駅にはロボットがコーヒーを作るカフェがある。タッチパネルでコーヒーを注文すると、ブース内のロボットアームが動き、コーヒー1杯を作る。アメリカーノ1杯の値段が3500ウォン(約390円)。無人店という点を勘案すれば結構高価に感じられるが、ロボット設置の費用を考えれば、頷(うなず)ける価格でもある。
一方、街のあちこちにある黄色の看板の低価格カフェでは、アメリカーノ1杯が1500~2500ウォン(約168~280円)だ。ランチタイムのように注文が殺到する時間帯は、狭い店内でスタッフが機械のようにコーヒーを淹(い)れるが、価格はロボットカフェより安い。両者ともコーヒーの味やサービスではなく、「生産」に焦点を合わせて競争しているためだ。
低価格カフェはいまだに客足が絶えない。ロボットカフェより安い上に味も変わらないからだ。しかし、長期的に人件費が上昇し続け、ロボットの生産コストが下がれば、価格は逆転するかもしれない。その時になってからも、ロボットではなく人が作ったコーヒーを求めるようになるかどうかは、今のところ分からない。
歴史的に見ると、技術革新は高い人件費を代替する過程で起きてきた。18世紀イギリスは高い人件費を克服するために産業革命を起こし、大量生産の土台を整えた。収益モデルがあまりない人工知能(AI)にビッグテック企業の天文学的投資がなされるのも同じ脈絡だろう。初期費用が大きくても、長期的には人の労働力をAIに置き換える方が、より利益になるという計算が前提にあるのだ。
しかし、それは大量生産による競争での話だ。今日よく飲まれているコーヒーはエスプレッソをベースにしている。エスプレッソ文化を根付かせたのはイタリアだが、コーヒーで宗主国を上回る自負心を持つのがオーストラリアだ。豪州では、カフェは単にコーヒーを販売する場所以上の意味を持っている。同じ店舗でも、バリスタが誰であるかによってコーヒーの味や価値は違ってくるものとされており、カフェという空間もまた、コーヒーを飲む場所以上の意味を持つ。世界の多くで見ることができるスターバックスが豪州では十分に根付かなかった理由でもある。
あるスタートアップ企業の役員は韓国のカフェ文化をこう評価した。韓国のカフェでアメリカーノ1杯を注文するとマニュアルに合わせて素早く作ってくれるが、バリスタに「おいしいコーヒーを作ってほしい」と言うと戸惑う場合が多いということだ。コーヒーを速く大量生産する能力は最大化されたが、それを生産して販売する過程でロボットとの差別化を成し遂げられなかったのだ。
AIブームの中で企業と個人が先を争ってAIの使用に熱を上げているが、実はAIは目的ではなく手段にすぎない。コーヒーを淹れる道具や技術がいくら発達しても、豪州のカフェが依然として強いのは、そのような理由からだ。技術ではコーヒー1杯に込められない何かが差別化を実現した結果だ。結局、本質はロボットやAIではなく、コーヒーそのものにある。
(クォン・ソンソン経済部記者、8月7日付)







