トップ国際朝鮮半島出自より能力重視で国は強くなる

出自より能力重視で国は強くなる

高麗時代に建てられ李朝時代に補修し再建された楼閣「九天閣(クチョンガク)」=21日、北朝鮮東部の咸鏡南道咸興市(時事)
高麗時代に建てられ李朝時代に補修し再建された楼閣「九天閣(クチョンガク)」=21日、北朝鮮東部の咸鏡南道咸興市(時事)

 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」(将軍や宰相の血筋がどうして最初から決まっているだろうか)

 韓国史でこれほど人口に膾炙(かいしゃ)されている言葉も珍しい。高麗の武臣政権(武家政治)期の奴婢(奴隷)万積(マンジョク)が仲間に叫んだというこの言葉は、本来、秦の農民反乱の指導者陳勝が初めて掲げた言葉だった。陳勝はついに王の座に就いたが、万積は挙兵する前に密告によって倒された。それでもこの一言は韓国人の強い平等意識を象徴している。

 万積の叫びは韓国人の平等意識だけでは十分に説明できない。それは武臣政権という激変期の政治・社会的変化が生んだ産物でもあった。高麗武臣政権はしばしばクーデターと逆クーデター、文官の虐殺と王の頻繁な交代(廃位・擁立)が続く「混乱と無秩序の時代」として記憶される。

 しかしリーダーシップの観点からは別の様相も見られる。崔氏一族が力を持った武臣政権は門閥より能力を重視する人材政策を繰り広げた。家柄が卑しくとも才能があれば果敢に抜擢(ばってき)した。崔忠献 (チェチュンホン)(高麗時代の独裁政治家)の息子崔★(=王ヘンに禹)の人材登用原則はこれをよく見せている。文章力と実務能力の組み合わせで4段階の基準をつくり、人事のたびにこれによって人材を登用した。出自より能力を前面に出すこの基準は時代に先行した破格的なものだった。

 このような実力優先の人材登用は蒙古襲来という国家的危機にその効果を発揮した。世宗(セジョン)の時に編纂(へんさん)された「治平要覧」によると、蒙古軍が侵入した時、高麗は他の諸国とは異なり、最後まで激しく抵抗した。蒙古軍は各種攻城武器を動員して波状攻撃してきたが、城内の軍民たちは一致団結して撃退した。その抵抗がどれほど壮絶で強烈だったのか、亀州城の戦いに参戦した蒙古の老将は「幼い時から従軍し天下の攻防戦を何度も経験したが、このような抗戦は初めて見る」と言い、高麗人を称賛した。

 いったい何が高麗人たちに恐ろしい蒙古軍の”疾風“攻撃を40年余り(1231~1273年)も耐えさせ、なおかつ降伏しても元の単純な植民地ではなく「附馬国」(婿の国)の地位を維持させたのだろうか。治平要覧はその答えを崔氏武臣政権の開放的な人材政策と身分解放に求めている。崔★は民心を収拾するために、下層民を大挙平民として解放した。単なる施しではなかった。国の構成員が自分も国家の主人であるという自尊心を持たせたことで彼らは最も強力な抵抗勢力となった。

 国を守ったのは出身より能力を認め、構成員に国の主人という誇りを植え付けたリーダーシップだった。人は尊重された時、自分で責任を負う。治平要覧が武臣政権から読み取った教訓も、世宗が一生実践した統治力も結局ここにあった。

(朴賢模(パクヒョンモ)世宗国家経営研究院院長、7月14日付)

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