トップ国際朝鮮半島Kカルチャーのルーツはソウル五輪 インフラや財政基盤を残す

Kカルチャーのルーツはソウル五輪 インフラや財政基盤を残す

BTSカンバック公演の会場・光化門広場を移動する市民と外国人観光客ら=3月21日、ソウル(韓国紙セゲイルボHPより)
BTSカムバック公演の会場・光化門広場を移動する市民と外国人観光客ら=3月21日、ソウル(韓国紙セゲイルボHPより)

 家族と共に先週末、3年ぶりに戻ってきた防弾少年団(BTS)の復帰公演を見て、その圧倒的な地位を改めて実感した。私は絶頂に達したKポップの成功の原因を1988年ソウル五輪開催の成功だと分析する。今日、私たちが享受する文化的な豊かさは、38年前に蚕室(チャムシル)の地に響き渡った公式ソング「Hand in Hand」の余韻が残した貴重な遺産だと思うからだ。

 80年代だけをみても、大衆歌手の主舞台は大型ナイトクラブだった。筆者もまた、かつて明洞のあるクラブで羅勲児(ナフナ)の公演を見たことを鮮明に覚えている。88五輪は大会が終わった後、歌手たちに本格的な「公演会場」を提供し、風景を変えてしまった。

 松坡区芳夷洞に造成したオリンピック公園の体育館は、90年代以降、大韓民国の大衆音楽の聖地に変貌した。体操競技場(KSPOドーム)とハンドボール競技場(チケットリンク・ライブアリーナ)は、大規模な観客を収容できる最適なインフラを提供した。これは趙容弼(チョヨンピル)から「徐太志(ソテジ)と子供たち」、そして今日のBTSに至るまで、韓国の大衆音楽史の決定的な瞬間を収める器となった。

 グループ「復活」のボーカル李承哲(イスンチョル)は年間80回以上の公演で“公演の大家”という別名を得た。収入が保証されたKポップは、初めて大型化と産業化の道を歩むことができた。酒場のライブはもう見つけにくくなった。

 さらに決定的なのは、ソフトウエアを育てた資本の流れだ。五輪の剰余金でつくった「国民体育振興基金」はその後、「文化体育振興基金」に変わり、90年代後半から韓国の映画と公演芸術界に集中的に投入された。資本の不毛地だった文化の現場に体系的な支援が加わり、韓国映画も“ルネサンス”を迎えた。結局、ミュージカルとコンサート市場まで飛躍的に成長した。88五輪の経済的成果が、韓国コンテンツの質的レベルを引き上げる心強い後ろ盾の役割を果たしたわけだ。

 五輪はまた、韓国人の無意識の中に「世界と疎通できる」という自信を植え付けてくれた。辺境の発展途上国から世界の中心部に進入したその経験は、韓国の大衆文化が地域にとどまらず、グローバルスタンダードを志向するようにした心理的な起爆剤となった。結局、今のKカルチャーは88五輪が整備した物理的インフラ、財政的基盤、そして開かれた市民意識が長い時間をかけて熟成して現れた必然的な結果である。

 現在、私たちは世界がうらやむ先進国になった。全世界を照らすKカルチャーの華やかな花火を眺めながら、大韓民国のスポーツの新たな跳躍を導く次の政策は何なのか、気になる。持続可能性―。国際オリンピック委員会(IOC)が韓国に投げ掛けた課題である。

(成百柔(ソンペギュ)大韓障害人水泳連盟会長、3月27日付)

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