【ポイント解説】光化門が見たい眺めは
「光化門よ、光化門よ、お前の命がもう旦夕(たんせき)に迫ろうとしている…」。朝鮮総督府建設が決まると、景福宮の正門である光化門の撤去が避けられなくなった。白樺派の美学者・柳宗悦(やなぎむねよし)はその朝鮮建築の美しさを惜しみ、1922年雑誌「改造」に「失われんとする一朝鮮建築のために」を発表した。
世論に動かされた総督府は光化門を王宮の東側に移築保存した。だがせっかくのそれも韓国動乱で焼失。1968年に復元。さらに総督府庁舎が1995年、金泳三政府によって解体されたのを機に、ようやく門は「本来の位置に正しい形」で戻された。
その光化門から南へ幅広い世宗大路が延び、ソウル市庁舎辺りまでの一帯の漠然とした地帯を「光化門」と呼ぶ。植民統治時代の変遷はもちろん、政権を倒した「ろうそくデモ」やさまざまな集会が繰り広げられるなど、激動の歴史を刻む場所だ。
広い道路の中央に「公園」が出現したのは2009年、李明博大統領の時。地下通路でしかこの「島」には通じなかったので、当局にとっては集会やデモの管理がしやすかっただろう。
市庁舎前の広いロータリーも公園にされたのを見ると、大道路を公園化するのはデモや集会の管理だけでなく、軍隊や戦闘警察(機動隊)などが威圧的に封鎖する“力の行使”を制限する目的もあるのではないかと勘繰ってしまう。とかく広い場所には装甲車などを並べて封鎖しやすい。
今どき軍のクーデターなど起きはしないだろうが、非常戒厳の例もある。そうでなくとも週末ともなれば、各種のデモや集会で騒がしい。それに使われる広い場所をのどかな公園にして殺伐とした空気を一掃するという狙いもあるのかもしれない。昔の姿に復元された光化門が見たいのはそうした光景のはずだ。
(岩崎 哲)






