
現在、韓国の公式的な統一政策である「3段階民族共同体統一方案」は1989年、盧泰愚政権当時、李洪九統一部長官(統一相)が国防大学院での講演を通じて原形を公表し、後任の金泳三政権によって若干の修正を経て、94年公式に確立されたと知られている。
すなわち第1段階で南北間に和解協力を増進し、第2段階で国家連合を構成し、最後の段階で民族共同体の統一を成し遂げようという方案が現在の私たちの統一政策である。
ところが同じような発想は1970年代初めにその起源が遡(さかのぼ)る。71年朴正煕政権当時、外務部長官(外相)に任命された金溶植は同年8月、記者懇談会を通じて、南北統一方案に対して3段階のアプローチ方式を明らかにしたことがある。
第1段階には赤十字会談を通じて人道的問題を解決し、第2段階では物資交換、人の往来等を通じて非政治的な問題を解決し、第3段階では統一問題など政治問題の解決を図る方策を提案したのだ。
一方、80年代に入り、北朝鮮が高麗連邦共和国統一方案、すなわち南と北がおのおの自治を行いながら国家連合を通した連邦国家を形成しようという方策を提起すると、当時の全斗煥政権は「民族和合民主統一方案」でこれに応酬した。
要するに現在の私たちの統一方案である民族共同体統一方案は70年代以来、韓国の政策決定者と専門家が、一方では北朝鮮の統一方案に対応しながら、他方では憲法や国連憲章などで規定する国家間規範を総合的に考慮して作ってきた集団知性の所産だといえる。
ところが、このような統一方案が現在、重大な挑戦に直面している。2023年末と24年にかけて、北朝鮮の金正恩政権は南北関係を「敵対的な二つの国家の関係」と宣言し、統一に向かって行く暫定的な特殊関係と南北関係を規定した1991年の南北基本合意書を事実上、廃棄する決定を下した。
こうした北朝鮮の政策変化にどのように対応するのかが現在、私たちの対北朝鮮政策や安保政策上の重大な課題の一つだ。一部では二つの国家論を受け入れようという見解も提起され、他方では最初から吸収統一を推進しようという主張もある。
いずれにせよ、北朝鮮の主張のように韓半島を敵対的な状態に放置するのは、無責任なことだ。まずは対話と接触を通じて共存的な関係を回復し、続いて交通網の連結や物資の交流等を通じて連結的な関係をつくり、最終的には民族共同体を回復していく統一ビジョンの再宣言が必要ではないかと思う。
北朝鮮の「敵対的な二つの国家論」を克服しながら、私たちの統一ビジョンを再確認する集団知性の努力が再び必要な時点だ。
(朴榮濬(パクヨンジュン)国防大学校国家安保問題研究所長、7月16日付)





