司法不信で国は大混乱に

今回の21代大統領選挙は歴代どの大統領選よりも論議の連続で雑音が絶えない。国会第1党の有力候補はつい最近まで被選挙権が剥奪されるかもしれないという危機に直面していた。第2党は紆余(うよ)曲折の末、候補登録日になって大統領候補を公式に確定した。
このような大混乱の原因の一つに“政治の司法化”がある。これは昨日今日のことではないが、ますます程度がひどくなっている。
政治の司法化とは、政治で解決しなければならない諸問題を司法府に委ねてしまう現象をいう。大韓民国はいつからか法廷で政治的対立を解決しようとする誤った慣行に陥った。大統領と首相、閣僚など高位公職者の弾劾審判のような重大な政治的事案を憲法裁判所が最終判断する事例が増えたことが代表的だ。
共に民主党の李在明候補の政治的運命も結局は判事が左右した。李氏の公職選挙法違反容疑に対し、1審は有罪を認め懲役1年執行猶予2年を宣告したが、2審はすべて無罪に覆した。李氏は司法府判決によって地獄と天国を往来した。その後、大法院(最高裁)は李氏の無罪を宣告した原審を有罪趣旨で破棄し、ソウル高裁へ差し戻した。
李氏は再び絶体絶命の危機に陥ったが、直後に反転が起こった。民主党の“司法府脅し”の効果があったのだろうか、ソウル高裁が15日予定の公判期日を大統領選後の来月18日に延期し、李氏も起死回生した。
ドタバタと言われた国民の力の候補一本化の過程でも、政党が事態を自ら解決できず裁判所を訪ねて自分たちの運命を委ねた。金文洙候補は党指導部が自身の候補資格を剥奪しようとすると、裁判所に候補者取り消し仮処分を申請した。
最近の政治の主舞台は裁判所だと言っても過言ではない。政治家たちが自ら招いたことだ。政治的衝突が起こるたびに法廷を訪ねるなら、民主主義は歪曲(わいきょく)されて司法万能時代を呼ぶだろう。
“政治の司法化”は今国会になって目立ってひどくなっている。尹錫悦政権の2年半で民主党が発議した弾劾案は実に31件に達する。1987年の民主化以後、38年間で発議された弾劾件数の18件と比べると、最近、どれだけ弾劾案が乱発されたのかがよく分かる。
政治の司法化は必然的に司法の政治化を生む。司法が政治化されれば社会的対立の解消という司法府の本来の機能は失われ、かえって極端な嫌悪と分裂だけを増幅させる。国民10人中4人が憲法裁を不信しているという世論調査の結果がこれを傍証している。
政治の司法化、司法の政治化を防ごうとするなら、政界が対話と妥協を通じて社会的対立を解決する本来の役割を取り戻すことが至急だ。与野党は対話して妥協し、告訴・告発をしてはならない。国政が裁判所と検察に振り回されれば国はそれだけ混乱する。
(パク・チャンオク論説室長、5月13日付)