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尹氏の妥協・協力・譲歩のない政治【韓国紙】

12月3日、 非常戒厳を宣言する韓国の尹錫悦大統領=ソウル (大統領府提供) (AFP時事)
12月3日、 非常戒厳を宣言する韓国の尹錫悦大統領=ソウル (大統領府提供) (AFP時事)

謝罪・反省と刷新見えない与党

“12・3非常戒厳事態”で疑問の糸口が解(ほど)けた。今回の政権で全く理解できないのは尹錫悦大統領の金建希夫人問題への対処方式だった。金氏のブランドバッグ授受問題は適時に謝罪するだけでも、容易に防ぐことができた。

山場のたびに尹大統領は国民の目線に合う選択をしなかった。直言をいとわない参謀は激怒され、長い知人たちは遠ざかった。

尹大統領が終始見せた“引き算の政治”は彼が新米政治家ということを勘案しても理解し難かった。保守政党に新しい風を起こした李俊錫議員をはじめ、一時、自身の分身のようだった韓東勲前代表まで追い出した。途中で用済みにした安哲秀・羅卿瑗・金起炫議員は言うまでもない。

党内でこのありさまなのに、野党と協治(協力政治)とは理屈に合わない。だから被疑者(李在明共に民主党代表)を相手にしてはならないという強硬派だけが勢力を伸ばしたのだ。

この一連の“おかしな政治”に「常識」でなく「戒厳」という答えを入れてみると理解できる。いざという時には一発で場をひっくり返すことができるのに、なぜ妥協して譲歩する辛(つら)い協力政治の道を行くのかと感じたのだろう。

龍山(大統領執務室)で生まれた疑問がいまや汝矣島(ヨイド)(日本で言う永田町)に広まっている。非常戒厳は保守政党を崖っぷちに追い込んでいる。国民の力と共に民主党の支持率が20・6ポイントの差となった世論調査の結果が23日に出た。不意に訪れた超現実的な非常戒厳に年末の日常を奪われた国民の怒りがそっくり込められた数値だ。

国民の力はしかし、まだ刷新の方程式を見いだせずにいる。刷新の前提である謝罪と反省が見えない。かつて“裏金問題”で満身創痍(そうい)になったハンナラ党は2004年“テント党舎”で猛省する泣訴戦略で再起の足場を築いた。08年に狂牛病事態で窮地に追い込まれた李明博元大統領は(ソウルの西側の)仁王山に登って光化門の巨大なろうそくデモを見て自責した。そのように遠ざかった民心に近づこうと努めた。

ところが国民の力は保守政党の大統領が2回連続して弾劾される危機に直面しているのに民心から遠ざかりつつある。弾劾政局で党を導く非常対策委員長に親尹系の首都圏の5選議員を配して、権性東院内代表と共に「元祖親尹ツートップ」体制を完成し「再び親尹党」という批判を招いた。

過去の保守政党の非常対策委の成功モデルは革新と中道であった。代表的な成功例は11年の朴槿恵非常対策委だ。当時、同委は野党の(中央選管と議員へのサイバーテロの真相究明のための)DDoS特別検事(任命)を受け入れた。理念的には極右と断絶して中道へ拡張した。

ところが今、国民の力は“鉄板右派”に手招きをしている。党内外では“嶺南自民連”(慶尚道の弱小保守政党)に転落するかもしれないという恐怖がちらついている。疑問だらけだった異常な政治と断絶して、常識の政治を復元してこそ保守政党が“戒厳の川”を越えることができる。

(イ・チョンジュン政治部長、12月25日付)

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