韓国の尹錫悦大統領が弾劾訴追されたことを巡り、国内外では「韓国の民主主義が成熟した証拠」「軍の横暴を防いだ民主主義の勝利」という類いの評価も聞かれる。だが、これらは多くの韓国人が抱く軍事独裁へのトラウマやもともとあった反尹感情を利用した左派の扇動に乗せられた側面があり、一種の錯覚に陥っているとも言えそうだ。(ソウル上田勇実)
国会で訴追案が可決された今月14日、韓国各紙は号外を出した。主要紙の一つ東亜日報は国会議事堂前に20万人(警察推計)が集まった時の光景をこう書いている。
「彼らは『ついに弾劾された』『市民たちが勝った』と声を上げて抱擁した。『民主主義が勝利した』という掛け声も飛び交った。(中略)会社員のカンさん(29)は『先週、当然可決されると思った弾劾が否決され、腹が立った。私も汝矣島(国会前)へ行って声を出し、力添えしなければと思った』と述べた」
外国メディアも「非常戒厳宣布で民主主義を混乱に陥れた大統領に向けた国民の怒りが爆発した結果、弾劾案が可決された」(米紙ニューヨーク・タイムズ)などと報じ、「悪い大統領を善良な国民がいさめた」式に民主主義の勝利だとたたえている。
表面的な出来事を見れば、確かに尹氏の戒厳令は国民には衝撃的だったに違いない。国会議員を逮捕するため兵士が議事堂に乱入したり、不正疑惑がくすぶっていた選挙管理委員会で証拠を入手するため兵士が送り込まれたり…。
多くの国民は、1980年に軍政を敷いた全斗煥政権に反発して民主化を求めた市民が、軍の制圧で多数犠牲になった光州事件の悪夢を彷彿(ほうふつ)とさせた可能性がある。尹氏の独善的な国政運営や人事、野党が執拗(しつよう)に追及する夫人の金建希氏を巡る各種疑惑などで国民の反尹感情もヒートアップしていた。
軍政へのトラウマや反尹感情が刺激され、国民が立ち上がったと言えよう。
しかし、もう一つの事実、すなわち韓国社会の左傾化にも着目する必要がある。
尹氏が大統領に当選した瞬間から、特に今年4月の総選挙で左派系野党が圧勝し、弾劾訴追案可決の実現可能性が一挙に高まってから、「尹氏弾劾が野党陣営共通の目標になり、虎視眈々(たんたん)とそのチャンスを窺(うかが)ってきた」(元情報機関幹部)とみられる。最終目的は「保守政治一掃と左派政権の半永久的執権」(野党重鎮)だ。
政治が音頭を取り、メディアや労組を牛耳ってSNSを巧みに駆使する左派が弾劾の正当性を宣伝したり左派系市民団体と連帯して街頭デモのお膳立てをすれば、国民を巻き込むのはそう難しくない。
最大野党・共に民主党は尹氏を弾劾訴追に追い込むだけでなく、内乱罪を適用させ逮捕・起訴させようと躍起だが、これも光州事件に関する内乱罪で死刑判決(一審)を受けた全斗煥元大統領とイメージをダブらせ、扇動効果が期待できる。
結局、発端は尹氏が墓穴を掘ったことにあるが、その後は「左派が描いた尹氏弾劾のシナリオ」(保守系ジャーナリスト)通りに驚くほどの速さで国民が動かされたのは否定できない。弾劾訴追は民主主義の勝利と言うより、保守壊滅を目指す左派の勝利と言うべきではないだろうか。
ところで、今回の戒厳令で尹氏は国会の同意を得られないと分かると、これを解除した。また非常戒厳自体は大統領に与えられた正当な権利の一つでもある。しかもその動機は閣僚弾劾を乱発したり、正常な国政運営をできなくする予算削減をするなど、国会多数の力を背に横暴を止めなかった「従北反国家勢力(=共に民主党)の摘発」だった。
戒厳令という方法は非難を免れ得ないが、一方で国の将来を憂いて行動した尹氏に対する無理解が続けば、逆に韓国国民の民度が試されかねない。
左傾化した韓国では、建国の父である李承晩初代大統領や高度経済成長のレールを敷いた朴正熙元大統領への評価が極めて低いという現実がある。