近年、北朝鮮住民の間で急速に広がる韓流(ドラマや映画などの韓国文化コンテンツ)。金正恩総書記は体制にとって深刻な脅威と位置付け、取り締まりに躍起だが、韓流に呑(の)み込まれるという危機感が韓国との統一を放棄させる決定打になったとの見方もある。このほど本紙は、昨年5月に漁船に乗って北朝鮮を脱出し、韓国に亡命した夫婦キム・イヒョクさん(仮名、32)とキム・ヨンジョンさん(仮名、29)にインタビューし、北朝鮮での韓流の実体験を聞いた。(ソウル上田勇実、写真も)
関連法で増えた公開銃殺
2人が結婚したのは2018年。居を構えたのは夫の実家がある南西部の海州(ヘジュ)(黄海道(ファンヘド))だった。インターネットの普及が統制されている北朝鮮では、モニターにUSBメモリーを挿入して保存されている韓国のドラマや映画を見る人が多いと言われるが、キム夫妻も同様だった。
ヨンジョンさんによると、新型コロナウイルスが流行し始めた2020年から韓国ドラマが急速に流行し、あっと言う間に広がったという。
印象深く見た韓国ドラマは「王家の家族」(13年韓国KBS放送の連続ドラマ)と「ジャイアント」(10年)。「北朝鮮ドラマはフィクションなので最初は韓国も同じと思って見ていたが、何度も見るうちに実際の韓国はこれまで教え込まれてきた惨めな姿と懸け離れていることに気付いた。家々やビルも凄(すご)過ぎて、ああいう所に行って住める日が来るだろうかとも思った」(ヨンジョンさん)
しかし、韓流弾圧に向けた反動思想文化排撃法がその年制定された。翌21年から「8・2連合指揮部(旧109連合指揮部)」という組織による取り締まりが厳しくなり、摘発された子供や青年の公開銃殺が始まった。住民は怖くなって所持していたUSBメモリーの中身を削除し、それ以降見なくなったという。
韓流コンテンツが保存されたUSBメモリーは、互いに秘密を守る住民同士の間で交換された。ヨンジョンさんは22年になると再び韓国ドラマを見ようとした。「面白いし好奇心が湧くので、麻薬のようにまた見たくなった」ためだ。だが、それまでUSBメモリーを流通させていた人が当局に逮捕され、入手の道が閉ざされた。
一方、地域の名家に育ったイヒョクさんは、高校生だった09年ごろから自宅にあったテレビの周波数を変え、密(ひそ)かにKBSの番組を家族と一緒に視聴していたという。
面白かったのはドラマ「不滅の李舜臣(イ・スンシン)」(04年)。豊臣秀吉の朝鮮出兵を迎え撃った朝鮮水軍の英雄、李舜臣将軍の物語で、「日本に対する憎悪を李舜臣将軍がスッキリさせてくれた」(イヒョクさん)。北朝鮮の学校でも教科書に李舜臣将軍の記述が出てくるが、「真の指導者に出会えず、李舜臣将軍は十分な輝きを放つことができなかったが、わが民族は金日成(キムイルソン)(という)太陽に出会い…」というくだりが出てくるという。
イヒョクさんも「ノートテル」と呼ばれる携帯メディアプレーヤーにUSBメモリーを挿入して韓国ドラマを視聴したが、やはり「衝撃を受けた」。「第一に韓国の経済力と民主的思考に衝撃を受け、この国(北朝鮮)が正常な国ではなく、住民に隠していることがあると思うようになった。そして朝鮮王朝の不正や政界の人間模様をドラマで見て、北朝鮮の金王朝も同じだと感じた」(イヒョクさん)
反動思想文化排撃法に基づく取り締まりは大勢が韓流に接する都市部で厳しく行われ、一つの地域で住民同士がUSBメモリーを共有することが多く、芋づる式に逮捕されたという。キム夫妻が住んでいた海州でも22年から公開銃殺が増え、最も多いのは20代だったという。
今振り返ってみて、韓流に接したことが亡命を決心することにつながったのか。この問いに2人はこう答えた。
「もし韓国に関する情報を知らなかったら韓国に来ることができただろうかと思う」(イヒョクさん)
「幼い2人の子供を抱えて命懸けで来るわけだから、韓国のことをある程度分かった上で来た」(ヨンジョンさん)
貨幣改革で金正恩氏に敵愾心
北朝鮮住民が韓流に接すると、それまで注入されてきた既成概念が崩れ始めることが多い。イヒョクさんの場合も韓国のドラマやニュースを見て変わった。
「米国に移民した韓国人の話や韓国に嫁いだ日本人女性が韓国の舅(しゅうと)の反日感情にぶつかりながら、それを乗り越えていくプロセスを見せる番組などを見た。主敵である南朝鮮(韓国)、米国、日本の国民も同じ人間じゃないかと好感を抱くようになった」(イヒョクさん)
先駆けて韓国に亡命した脱北者たちが韓国社会で排斥されず、受け入れられていく様子を伝える番組を見た時も「驚いた」という。
ただ、キム夫妻が金正恩氏に敵愾心(きてがいしん)を抱いたのは、韓流に接するより前の2009年だった。当時、父親の金正日総書記が断行した貨幣改革という名の下のデノミで、保有紙幣が紙屑(かみくず)同然になったことへの怒りは、息子の正恩氏にも向けられた。地域の党幹部たちは「青年大将(正恩氏)が自分の能力を誇示しようと思って貨幣改革を始めたが、うまくいかなかったと認識していた」(イヒョクさん)ようだ。
その後も正恩氏への不信は、延坪島砲撃(10年)や叔父・張成沢氏の処刑(13年)、異母兄・正男氏暗殺(17年)などの事実を知って増幅し、最終的に韓流の津波に流された格好となった。
韓流を取り締まる反動思想文化排撃法では、「それまでは南朝鮮の物を見るなと言われて教化所に1年送られる程度で済んだ処罰」(イヒョクさん)が、幅広い罪状で数年の労働教化刑が科され、最も重ければ死刑だ。それほど「韓流による北朝鮮住民の思想的動揺はわれわれが考える以上に深刻で、北朝鮮体制に重大な脅威を与えている」(元韓国政府高官)ということだろう。
北朝鮮で広がる韓流の役割について、北朝鮮人権民間団体協議会の孫光柱・常任代表は「極度の統制社会に住む北朝鮮住民が外部世界を知りたがるのは一種の社会的本能だ。韓国のドラマや歌は彼らを外部世界に誘うほぼ唯一のチャンネル。韓流は彼らにとって未来の希望そのものだ」と述べた。