
温かい言葉が大切な時代
進行中の国政監査で与野党が激烈な口喧嘩(げんか)を行っている最中に、一瞬、議場で予定になかった拍手が湧き起こった。作家・韓江(ハンガン)がノーベル文学賞を受賞したというニュースが伝えられた瞬間だった。今回の国政監査で唯一、与野党の心が一つになった時であった。
だが、興奮が冷めないうちにオンラインでは祝いの言葉と共に、作家に対する鋭い非難がウイルスのように急速に広がり始めた。韓江氏が『少年が来る』と『別れを告げない』で5・18(光州事件)と4・3(済州島四・三事件)を素材にしたことに対して批判を加え、これはすぐに地域卑下につながった。家父長制を皮肉った小説『菜食主義者』もまた俎上(そじょう)に載せられた。
「私は正しく君は間違っている」という二分法的な思考の前で、言葉は闘争の手段に変質していく。自由を先立てて、スウェーデンアカデミーが「歴史的なトラウマと向き合い、人の命のはかなさをあらわにする強度の高い詩的散文」と評価した小説に、躊躇(ためら)いもなく言葉の刃(やいば)を突き付ける。
努めて韓氏の栄誉を貶(おとし)め、「賞を翻訳家に与えるべきだ」という寸評には当惑する。作家、韓氏の本を英文翻訳したデボラ・スミス氏は「不十分な翻訳は優れた作品を回復しにくいレベルに傷つける可能性があるが、反対に世界最高レベルの翻訳でもつまらない小説を古典の名作のように包装することはできない」と述べている。さらに批判者らは、ノーベル委員会をフェミニズムに染まった日和見主義集団ぐらいに過小評価することで、作家の受賞を貶めたりもする。
政争と暴言は国会を超えてオンラインで再現されている。君と私を混ざり得ない水と火、0と1に分ける二分法社会になったようだ。毎日のように残酷な殺人事件、非人道的な犯罪のニュースが伝えられる。悪口と非難の言葉で綴(つづ)られた社会に暴力が横行するのは不思議なことではない。
温かい言葉が大切な時代だ。良い単語、美しい文章を見つけることは難しく、胸をえぐる単語が乱舞する世の中で、私たちはどんな未来を期待することができるだろうか。オンラインで出回るコメントが作家の業績を損なうとは思わない。思い付きで書いた非難が長い思惟(しい)の結果の作品を圧倒するわけがない。ただ、違いを受け入れられず、分かれて争う私たちの社会の断面が残念なだけだ。
読書に良い秋、非難をやめて、左派だ右派だと争う政争から抜け出して、吹き始めた読書の風に便乗してみてはどうか。文学を通じて私たちの心が少しは温かくなり、他人の考えにもう少し耳を傾け、悪口と非難を取り除き、言葉の味が生きている世の中になることを願いたい。韓氏の風もそうなるだろうと信じる。
(オム・ヒョンジュン社会部長、10月16日付)