韓国の文在寅前大統領が在任中に持たれた数々の疑惑を巡る捜査と裁判がこのところメディアで相次ぎ取り上げられ、文氏への捜査が本格化するのではないかとの臆測が広がっている。ただ、なぜか政権交代後も捜査は遅れ気味で、その背景も気になるところだ。(ソウル上田勇実)
しばらく世間から忘れ去られていた文氏の疑惑が最近になって急にクローズアップされるようになったのは、先月末、娘宅に検察が家宅捜索したことがきっかけ。娘の元夫がタイの格安航空会社(LCC)に社員採用される過程で、採用した同社の所有主である元国会議員と文氏との間で互いが見返りを授受した疑いが浮上していたが、今回の家宅捜索の令状に文氏を「被疑者」と記載していたことが分かった。
検察はこれに先立ち、関連で文氏の元青瓦台(大統領府)側近たちを聴取していたため、韓国メディアは「捜査が文氏に向かうのか」(ニュース専門チャンネルYTN)などと報じた。
文氏には自身が関わる疑惑で「罪責が非常に多い」(元検察幹部)ことは、一部の熱烈支持者たちを除き、衆目の一致するところだ。保守系月刊誌「新東亜」(9月号)は「追跡 文政権5大積弊捜査、どこまできたのか」という特集記事で、五つの疑惑を指摘している。
このうち「民主主義の根幹を揺るがす」という批判を受けたのが、南東部・蔚山市の市長選(2018年)に青瓦台が組織ぐるみで介入した疑惑。文氏の30年来の友人を市長選に出馬させるため、反対陣営の保守系候補のイメージダウンを図る“工作”を警察を動員して行い、逐一その報告を受けていた疑いが浮上した。保守系候補の支持率は急降下し、結局、文氏の友人が当選。4年の任期を全うした。
疑惑に対する捜査は4年もかかり、政権交代後の昨年11月にようやく一審判決が出された。当選した前市長などに有罪判決が下され、裁判所はその“工作”について文氏と前市長が近い間柄だったことによるものだとの見方を示したが、文氏は起訴されずじまい。その後、検察は文政権の抵抗や事件から6年という時間の壁に阻まれ、決定的証拠をつかめずにいるという。
また「北朝鮮を刺激しないためなら国民の命も犠牲にするのか」と非難された脱北漁民の強制送還(19年)と海上軍事境界線付近での公務員殺害事件(22年)も文氏の疑惑の中では重大なものだ。
このうち後者は、漁業指導をしていた海洋水産省の公務員が誤って海に落ち、境界線を越えて北側海域に入ったところを北朝鮮軍に銃殺、焼却された事件。「自ら越境した」と事実を歪曲(わいきょく)して発表し、関連資料を削除した疑いで、尹政権になって文前政権時の国情院幹部らが起訴された。だが、国家機密を盾にした証言拒否などでいまだに一審判決さえ出ていない。
疑惑もさることながら、気になるのは文氏への捜査が「前政権の積弊捜査をする」と断言していたはずの尹氏が大統領になっても遅々として進んでいないことだ。
この点について保守系大手紙の朝鮮日報は看板コラムで、「法曹界では、尹政権下で捜査のメスが文前大統領の前に来ると入れられなくなる奇異な現象に疑問を呈している」とした上で、「仮に自分を(検察総長に)抜擢(ばってき)してくれた文氏への義理立てのため重大犯罪を覆い隠すとしたら、歴史に汚点を残す」と指摘している。
文氏と同じように多数の疑惑にまみれる李在明・共に民主党代表は先週、地方に住む文氏を訪れ、文氏の娘に対する検察捜査を「政治弾圧」と非難した。文氏や李氏に好意的な論調で知られる左派系日刊紙ハンギョレ新聞は「文前大統領が司法処理されたら尹錫悦大統領は退任後にどうなるだろうか? 検察が同じ仲間とみなして見逃してくれるはずはない」と早くも尹氏への報復捜査に言及した。
野党陣営の牽制(けんせい)や左派系メディアの警告も受ける中、果たして尹氏は文氏への捜査を本格化させるのだろうか。