消耗的論争で疲弊する民衆
韓日軍事協力の象徴のようになった韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の歴史は波瀾(はらん)万丈だ。盧泰愚政権は1989年、日本にGSOMIAを提案したが拒絶された。当時、北朝鮮を自由に出入りする朝鮮総連(在日朝鮮人総連合会)の人々を追跡して対北朝鮮情報力を養おうとしていた計画は失敗に終わった。
2000年代に入り、北朝鮮のミサイル開発が表面化して状況は逆転した。今度は日本が協定締結に積極的だった。李明博政府は12年6月、GSOMIAを国務会議(閣議)の案件として上程し、非公開で処理した。だが、国内世論の反発に押され、署名式直前に締結は延期される。密室処理を主導した責任を取って同年7月、金泰孝(キムテヒョ)青瓦台(大統領府)対外戦略企画官(首席級)が退任した。
翌8月10日、李明博大統領は現職国家元首としては初めて独島(竹島)を訪問した。それ以前にも以後にも独島を訪ねた大統領はいない。日本は待っていたかのように独島を国際紛争地域と規定して国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。日本に口実を与えた外交政策の失敗として噂(うわさ)になった。明らかなのは、独島訪問が金泰孝氏の提案ではなかったという点だ。
大統領室の国会運営委員の初業務報告があった8月27日、野党が「密偵」「ニューライト」「戒厳準備説」など多様な用語を動員して、政府に“親日”攻勢を繰り広げた。国家安保室第1次長として10年ぶりに大統領室に戻った金泰孝氏がターゲットだった。「重要なのは日本の心」だと発言した金室長が、ニューライト系人事論議など、尹錫悦政権の対日認識と政策推進において重要な位置を占めていると見たからだ。
過去の歴史問題は国民感情と直結するだけに、政府高官には慎重な物言いが要求されることはある。とはいっても、昨今の「親日」攻撃と扇動は度過ぎている。左右に分かれて深刻な政治的混乱を来した(日本統治からの)解放直後の政局を思い起こさせる。
過去、進歩政権になれば間違いなく親北・親中論議が、保守が政権に就けば親日・親米論議が起こった。この過程で、こじつけと歪曲(わいきょく)は数多くの消耗的論争を生んだ。ある程度時間が経(た)てば、いつそんなことがあったのかというほど記憶の彼方(かなた)へ消え、その間に民衆の生活は疲弊した。
野党側が提起した「独島削除疑惑真相調査団」の推進や、「独島領有権否定時は内乱罪で処罰する法案」もそのようになる可能性が大きい。国民が目を見開いて政界扇動に振り回されず、事実と価値(特定の見方)を区別しなければならない時だ。簡単なことではない。
(パク・ビョンジン論説委員、8月31日付)