朝鮮戦争(1950~53年)に台湾の国民党軍や在韓華僑の有志軍が参戦し、主に北朝鮮に援軍を出した中国共産党軍に対する心理・情報工作を行った詳細について、韓国有力誌「月刊朝鮮」(7月号)が専門家の寄稿文を掲載した。近年、台湾有事の可能性が取り沙汰される中、韓国が台湾問題に改めて向き合うきっかけになりそうだ。(ソウル上田勇実)
同誌に寄稿したのは、長年この問題を研究してきた徐相文・前韓国国防省軍史編纂研究所責任研究員。記事は先月25日に朝鮮戦争勃発から74年を迎えたことに合わせ寄せられた。
それによると、当時、国共内戦で敗れ台湾に逃れていた蒋介石は、朝鮮戦争勃発の報に触れると、国民党軍の朝鮮半島派兵を申し入れた。韓国軍と一緒に戦って鴨緑江や豆満江を越えて北上し、中国東北地方に共産党軍に反撃する拠点をつくるのが狙いだったという。
ところが、中国の参戦を誘発する可能性があるとして米英が反対。韓国の李承晩大統領も米軍の支援が手薄になるのを恐れて反対した。それでも蒋介石は諦めず、韓国内の国民党組織を拡大する一方、派兵支持を取り付けるため米有力紙に派兵計画を公表した。
転機が訪れたのは50年10月の中国参戦。前月に仁川上陸作戦で加勢した米国を中心とする国連軍と韓国軍にとって中国共産党軍という新たな敵に対する情報収集や各種心理戦が急務となり、台湾国民党軍の協力はもはや不可欠になった。
米軍は翌月、駐韓台湾大使館に対中心理戦での協力を要請。これを受け同大使館は陸上と上空からの拡声器を使った宣伝放送、ビラや写真の散布、中国共産党軍が寝返るための宣伝などを提案し、米軍はすでに実施していた自分たち独自の心理戦を支援するよう台湾側に要請した。
51年になると台湾では英語・中国語・日本語ができて中国軍の内情を知り、思想的に健全で体力もある心理戦要員が国民党軍の特殊任務部隊員として選抜された一方、韓国では小中学校教師を中心に華僑要員も選抜された。
同年3月、国民党要員の第1陣が台北を出発し、東京経由でソウル入り。米陸軍が雇用した文官として1年契約だったが、延長も可能だった。給与は月300㌦で、当時の台湾人平均月収の20倍だったという。
具体的な心理・情報工作について徐氏は記事で、▽捕虜になった中国共産党軍の兵士に対する尋問、転向誘導、敵陣動向などの情報収集▽飛行機で敵陣後方へ行き中国語と朝鮮語で書かれたビラの大量散布▽南東部の巨済島と南西部の済州島にあった中国共産党軍捕虜の収容所での懐柔、転向誘導、台湾移送――などを挙げた。
記事は、同年に在韓華僑による別途の秘密情報部隊「ソウルチャイニーズ(SC)支隊」が結成されたことにも言及している。台湾政府と韓国陸軍の承認の下に発足したSC支隊の全貌は明らかになっていないが、当初200人余りで出発した後、人員を拡大していき、休戦協定締結後の53年9月まで活動したという。
SC支隊はソウルなどで10週間の訓練を受けた後、12人1組で韓国陸軍情報部隊(HID)に配属され、敵陣や後方の情報収集などの任務に当たった。また北朝鮮への極秘侵入を担当した組には華僑40人の他に日本人もいたという。
徐氏は記事の冒頭で「台湾問題はわれわれと関係ないかのように腕組みして見守るだけのムードの中、台湾の朝鮮戦争参戦という歴史的事実を振り返ってみるのも世論喚起の意味で無益ではない」と述べている。
韓国で反中国共産党運動に携わる市民団体「チャイナ・アウト」の韓民鎬代表は、同記事の読後感として「大半の韓国人はこうした歴史を知らない。かつて安倍元首相が『台湾有事は日本有事』と語ったように『台湾有事は韓国有事』でもあるのに、それを知らない。恥ずかしいことだ」と述べた。