![](https://www.worldtimes.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/22h0794c.jpg)
今月実施された韓国総選挙で圧勝した革新系野党陣営が、最大野党・共に民主党を中心に大連帯し、総選挙勝利だけでなく尹錫悦大統領の退陣と次期大統領選での革新候補誕生までを目標に掲げた戦術を描いていることが明らかになった。戦術名は「鶴翼の陣」。その中身を紹介する。(ソウル上田勇実)
古(いにしえ)から伝わる陣形である「鶴翼の陣」とは、その名の通り敵に対峙(たいじ)する時に自陣を横一線ではなく、ちょうど鶴が両翼を広げたように部隊配置する戦法。韓国では16世紀末、豊臣秀吉による朝鮮出兵で、李舜臣将軍率いる朝鮮水軍が「鶴翼の陣」で船団を並べ、日本側の船数十隻を沈没させて勝利したことで知られる。
その「鶴翼の陣」が今回の総選挙を巡る野党協力の場で登場した。
第3党に躍進した革新系野党・祖国革新党の曺国代表は選挙前の先月5日、共に民主党の李在明代表と会談し、「鶴翼の陣のように戦って勝利しよう」と述べた。李氏は「尹錫悦政権を審判しようとする全ての政治勢力が力を合わせるべきだ。その中に祖国革新党も一緒にいる」と語った。
![](https://www.worldtimes.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/22h0792c.jpg)
総選挙では、不正疑惑にまみれる李氏を敬遠した有権者が、より穏健的イメージの曺氏に多数流れ、祖国革新党が善戦したとみられている。また共に民主党は、曺氏を“後継者”のように見なしていた文在寅前大統領に近い人たちの多くが公認漏れし、完全に親李在明体制になった。
そのため李氏と曺氏の選挙協力は一時的なものにすぎないとの見方も多かったが、実際には水面下で壮大な計画が練られているとの見方が出ている。韓国の情報機関で思想教育を担当した李熙天・元韓国情報大学院教授はこう指摘する。
「鶴翼の陣は尹大統領の退陣と親北派による政権奪還を最終目標にした戦術で、曺氏がこれに言及するのは昨年11月に続き2度目。背後で影響力を行使しているのが李氏が政治家として出世の階段を登り始めるきっかけをつくった最も急進的な主体思想派、いわゆる京畿東部連合と呼ばれる勢力だ」
李元教授によると、鶴翼の左の翼には違憲政党として解散させられた旧統合進歩党の後身である進歩党、群小3党から成る新進歩連合、各種ろうそくデモを主導する過激なグループを主軸とする市民団体・連合政治市民会議など強硬左派が、また右の翼には祖国革新党、共に民主党の離党組が結成した松の木党と新しい未来など穏健左派がそれぞれ配置されているという。
![](https://www.worldtimes.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/22h0793c.jpg)
このうち“存在感”を示したのは進歩党。共に民主党が比例代表用に臨時結成した共に民主連合など他党に密(ひそ)かに入り込んで国会議員に当選している。総選挙直後に実施されたある世論調査で同党の支持率は比例代表獲得に必要な3%の半分にしか満たない1・6%。「自力で政界入りできない同党が他党議員に化けて国会進出を果たしたのを見ても、同党が見た目よりはるかに大きな影響力を持ち、その全ては李在明代表の了承の下で行われた」(李元教授)と言えよう。
革新系の野党陣営が今回の総選挙で憲法改正や大統領弾劾訴追案の国会可決に必要な200議席(全300議席)に迫る192議席を獲得できたのは、「総選挙で左の翼と右の翼が浮動票などより多くの有権者を囲い込むため、時に硬軟逆さまの役割分担をしながら反尹の網から抜け出せないようにした」(李元教授)からなのかもしれない。
8年前の朴氏弾劾でも登場 親北批判が違憲になる日も
実は「鶴翼の陣」は2016年に朴槿恵大統領が弾劾に追い込まれた際にも登場した。同年11月、国政介入事件で窮地に追い込まれていた朴氏の退陣を求めるデモ行進の案内ビラには、青瓦台(当時の大統領府)を包囲するように東西の道路に進入するよう呼び掛ける「作戦地図」が記されている。
![](https://www.worldtimes.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/22h0806c.jpg)
「実際に青瓦台はデモ参加者により包囲され、中にいた人たちは今すぐにでも青瓦台の外壁を乗り越えて侵入してくるのではないかという恐怖に駆られた」(李熙天元教授)。
朴氏はその後4カ月足らずで憲法裁判所により罷免されている。
当時、朴氏に代わって次の大統領になったのは文在寅氏だったが、文氏同様に李在明氏も北朝鮮に融和的な言動を繰り返している。05年秋、弁護士だった李氏は北朝鮮を訪問し、翌年、統一地方選挙の城南市長選出馬の直前に自身のSNSに現地で撮影した写真数枚をアップした。まるで北朝鮮や国内親北派に告知するかのごとくにだ。
李氏は落選したが、4年後の同市長選で当選。その後、京畿道知事を経て国政入りした。
また、まだ民間人だった李氏の訪朝を承認したのは鄭東泳・統一相(当時)だったが、鄭氏は今回の総選挙で共に民主党の公認を受け、国会議員にカムバックを果たしている。恩義を抱き続けていた李氏による「見返り公認」だったとの見方も出ている。
今回の総選挙で革新系野党は「尹政権の残り任期3年は長過ぎる」と口をそろえ、尹氏弾劾をほのめかしていた。
李元教授は今後の展開をこう憂慮する。
「仮に尹氏が弾劾・罷免されるような事態に陥り、改憲まで行われた場合、親北活動が合憲で、反北活動が違憲になる日が来るかもしれない。そうなったら私はもう親北派を公の場で批判できなくなる」