庶子コンプレックスの金正恩氏

祖父・父を否定し独自路線

北朝鮮の金正恩総書記がこの年末年始、韓国を「敵対的な交戦国」と規定し、祖父・金日成、父・金正日の遺訓である「祖国統一」の看板を引き下ろして、祖国統一三大憲章記念塔を撤去するなど“先代の痕跡”抹消(まっしょう)に躍起となっている。

内外に衝撃と混乱を与えたが、ここにきて韓国ではこの転換は「金正恩時代を強調」して独自路線を歩み出したものとの分析が出てきた。月刊朝鮮(4月号)が伝えている。

金正恩の行動の裏には「出生コンプレックス」が作用していると分析するのは姜哲煥(カンチョルファン)北朝鮮戦略センター代表だ。北朝鮮では「白頭の血統」すなわち金日成の血筋が権力の象徴であり、正統性の証しである。しかし金正恩は「庶子」(非嫡出子)という出自のため、世襲の根拠としての「白頭の血統」だけをよりどころにしていくにはいずれ限界がくる。それがこの方針転換に作用しているというのだ。

同誌によれば「金正日の夫人は成(ソンヘリム)惠琳、金英淑(キムヨンスク)、高容姫(コヨンヒ)、金玉(キムオク)など4人が挙げられる」という。正恩の母は在日朝鮮人出身で万寿台芸術団の舞踏家だった高容姫で、兄の正哲(ジョンチョル)、妹の与正(ヨジョン)を産んだ。「隠遁(いんとん)の幼年期を送った。生前の金日成の認定も受けられなかった。金正恩が祖父と共に撮った写真が一枚もないのはそのためである」と同誌は書いている。

金日成や金正日の誕生日は公式行事をして祝賀するが、生母や自身の誕生日を国家的行事として祝っていないのも、「出自の秘密が公に論じられるのを敬遠するためだ」という。

同誌ではないが、金正恩は父・金正日を「失敗者」と見ていたという説もある。「偉大な革命家で将軍の父(金日成)」を持ちながら、自身は何の実戦経験、軍事的実績もなく、それどころか経済政策の失敗で1994年から98年にかけて未曽有の飢饉(ききん)をもたらした「苦難の行軍」で国民を飢えさせ、本人はといえば自堕落な隠遁生活を送っていた、その姿を見ていたからだ。

母を祖父に公認させることもできなかったことで、胸を張って「白頭の血統」を誇示することもできない。頼るべき父は尊敬に値しない。そこで正恩は一つには祖父の外形を真似(まね)ることで「微弱な正統性を回復しようとした」と『指導力の虚像』などの著書のある金容新(キムヨンシン)政治学博士は分析する。

そして叔母の夫・張成沢(チャンソンテク)をはじめ父の側近を次々に粛清、除去していき、祖父、父もできなかった悲願の“核武装”も視野に入れてきた。その段階で「新しい朝鮮民主主義人民共和国を建設する創業者になる」決意を固めた。それが「祖国統一」の否定、躊躇(ためら)いもない祖父・父の否定、独自路線への転換になったというわけである。

金容新博士は、「コンプレックスは退行として発現することも、その反対のこともある。金正恩は後者だと分析され、内的コンプレックスを勝ち抜くために勝負師的気質を育てたのだろう」という。そして「先代を追い越した正恩は共和国の創業者、あるいは新しい教組になるという欲望まで拡大したとみられる」との分析を同誌に語っている。

戦争を仕掛けて南を取るとの意思を鮮明にした金正恩に韓国はじめ自由世界が正しく対応できるのかが課題だ。(敬称略)

(岩崎 哲)

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