“勝てば満点”の論理がはびこる政治

2020年4月の総選挙で与野党の首相経験者が対決したソウル中心部の選挙区で勝利した共に民主党の李洛淵前首相 (EPA時事)
2020年4月の総選挙で与野党の首相経験者が対決したソウル中心部の選挙区で勝利した共に民主党の李洛淵前首相 (EPA時事)

哲学や原則捨てれば泥仕合

「総選挙勝利こそが革新ではないか」。今年6月、会食の席で野党「共に民主党」のある幹部からこういう話を聞いたことがある。

最近は与党「国民の力」がいわゆる“革新”で騒々しいが、当時は、民主党で親明(親李在明)系が「代議員制廃止」を、非明系は「道徳性回復」などを主張して、革新に対する意見の相違が浮き彫りになった最中であった。そのような言葉が行き交う中で見解を尋ねたところ、その幹部は他でもなく「総選挙勝利」こそが革新だと言ったわけだが、それがかなり印象的で長く記憶に残った。

最近、この言葉をもう一度噛(か)みしめることになったのは、与党の「メガソウル」構想に対する民主党の対応を見ながらであった。国民の力の金起炫代表が先月末、(京畿道)金浦市のソウル市編入推進の意思を表明した後、民主党指導部は数日間賛否を表明できなかった。

この生ぬるい対応に対し、党内から直ちに批判が上がった。金斗官元行政安全部長官が「地方自治を始めた金大中、均衡発展の道を開いた盧武鉉の精神を継承する政党なのか疑わしい」と発言。他の同党関係者も私席で「党の哲学を捨て去る対応」だと述べた。

答えは簡単だ。指導部は金浦市のソウル編入に下手に反対すれば首都圏の民心に悪影響を及ぼすだろうと計算したのだ。結局、党の哲学や金大中・盧武鉉精神よりも優先するものがあったのである。5カ月前の党幹部の言葉を借りれば、「総選挙勝利こそが党の哲学であり精神」なので、均衡発展の立つ瀬がなかった。俗っぽい言葉で言えば“勝てば満点”ということだ。

この論理は現民主党の根幹をなしているようだ。結局、政党は選挙に勝つために革新し、政策を出すということは完全に間違いではない。しかし、それが全部なのか。勝利だけ保証されれば、約束を破り、党のアイデンティティーを無視しても構わないのなら、政治は泥仕合以上にはなれない。

2020年4月の総選挙の10日前、当時、野党の「未来統合党」(現国民の力)は全国民1人当たり50万ウォンの緊急災害支援金支給を約束した。政府与党の緊急災害支援金支給は「買票行為」と批判しながら、言葉を覆したのだ。“勝てば満点”は民主党だけの話ではない。

歴史は繰り返されるというが、最近メガソウル構想を“ポピュリズム”だと批判している民主党が来年の総選挙が迫ると、もしかしたら「グレートソウル」構想を発表する寸劇が起こるかもしれない。政党が原則なき勝利に必死になっている間に、韓国政治は連日負け続けている。

(キム・スンファン政治部記者、11月21日付)

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