
イスラム組織ハマスのイスラエル攻撃に端を発した双方の武力衝突が長期化する中、韓国では北朝鮮によるハマス式奇襲攻撃への警戒感が高まっている。これと関連し、見せ掛けの朝鮮半島融和ムードに乗じた2018年の南北軍事合意が、韓国に一方的な武装解除を強いてきたとの理由から、その効力停止を求める声が広がっている。(ソウル・上田勇実)
筆者が数年前、南北軍事境界線に近い韓国の都羅山展望台に行った時のことだ。設置された望遠鏡を覗(のぞ)くと、北朝鮮の山々を間近に見ることができた。すると見回りの韓国軍兵士が近づいてきて、こんな話をしてくれたのを覚えている。
「望遠鏡では確認できないが、あの山の向こう側に人民軍(北朝鮮軍)が無数の長距離砲を実戦配備している」
北朝鮮の前線にはソウルを射程内に置く長距離砲が配備されている。韓国国防白書(2022年度版)によると、「170㍉自走砲と240㍉多連装ロケットは(韓国の)首都圏に対する奇襲攻撃である大量集中攻撃が可能」で、最近は「射程を伸ばし精密誘導が可能な300㍉多連装ロケットと北朝鮮が超大型多連装ロケットと主張する600㍉級短距離弾道ミサイルを開発した」ことで、「韓国全域を攻撃できる火力を補強した」という。
白書は、北朝鮮は奇襲攻撃で「有利な条件を作った後に早期に戦争を終わらせる可能性が高い」とし、一昨年の朝鮮労働党大会で「武力による統一戦略を強調した」と指摘している。
今回のイスラエルとハマスの軍事衝突と関連し、尹錫悦大統領は先週、韓米安保協議会の米国側代表団と会った際、「北朝鮮が判断を誤ってハマス式奇襲攻撃を含むいかなる挑発を敢行しても、断固報復できる韓米連合態勢を維持してほしい」と述べた。
こうした状況を受け、見直し論が高まっているのが18年9月に韓国の文在寅大統領が訪朝して北朝鮮の金正恩総書記と会談した後、発表された軍事合意だ。
合意は「陸・海・空など全ての空間で軍事的緊張と衝突の根源となる相手に対する一切の敵対行為の全面中止」などを決めたもの。だが、19年2月の米朝首脳会談の決裂で北朝鮮が南北融和路線を放棄して以降は、北朝鮮側が一方的に合意違反を繰り返し、有名無実化していた。
問題は、韓国側だけが軍事境界線付近の北朝鮮に対する偵察・監視活動や各種軍事演習を中止していること。北朝鮮側の合意違反は19年11月から昨年末までの間に海上緩衝区域での砲射撃や韓国側監視所に対する銃撃など確認されたものだけでも17件に達する。しかも金総書記はその間、「軍事境界線での韓国軍の動向に神経を尖(とが)らせることなく、安心して核・ミサイル開発に専念できた」(韓国政府系シンクタンク)わけだ。
先月新たに就任した申源●国防相は、合意について「飛行禁止区域の設定で北朝鮮による差し迫った前線挑発の兆候をリアルタイムで監視することが大幅に制限された。できるだけ早く軍事合意の効力停止を推進する」と述べ、無人機を含む対北偵察・監視活動の復元を急ぐ考えを示した。
合意の当事者である文前大統領や革新系メディアは、こぞって合意の効力停止に難色を示したが、そもそも合意は「北朝鮮が非核化と平和定着に同意することを前提に結んだもの」(韓国メディア)。韓国側にだけ武装解除を迫り、自分たちは軍備増強するという「偽装平和合意」に成り下がっている。
申国防相が月内発射の可能性に言及した軍事偵察衛星など北朝鮮が「追加挑発を行った時が効力停止に踏み切るタイミング」(国防問題専門家)とみられている。
●=さんずいに是