【なぜ韓国は左傾化したか】(7)歴代左派3政権危うい「北朝鮮ファースト」

握手する当時の韓国の金大中大統領(左)と北朝鮮の 金正日総書記=2000年6月、平壌(AFP時事)

2000年6月13日、北朝鮮の平壌・順安空港に政府専用機で降り立った韓国の金大中大統領は、出迎えた金正日総書記と固い握手を交わし、抱擁した。分断後、初の南北首脳会談の実現に世界は興奮。金氏はその年、朝鮮半島融和の劇的転機をもたらしたとしてノーベル平和賞を受賞した。

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だが、この光景をいぶかしげに眺めていた人物がいる。80年代の韓国学生運動を主導した全国大学生代表者協議会(全大協)の元幹部、李東湖氏だ。「一言で言うなら韓国大統領が北朝鮮の下僕になった」と思ったという。

李氏は全大協の連帯事業局長として外部協力者と連帯を担当。協力者には野党政治家や労働運動従事者などが多く、特に当時、民主化運動を先頭で引っ張っていた金氏とは「20回以上会った」。

ある時、李氏は金氏の秘書から、北朝鮮の対南革命機構だった韓国民族民主戦線(韓民戦)から「今回の闘争はこうやれ」「スローガンはこうしろ」などの指示が来ていると明らかにされた。そのことについて金氏は李氏と面会した際、「韓民戦からこういう指示が来ているが、あまりやり過ぎると大衆がついて来ないので、われわれは半分くらいにとどめておこう」と言ったという。金氏は韓民戦について熟知し、その意向を汲(く)んで韓国で「革命」を起こすため実際に動こうとしていたわけだ。

李氏は1997年に韓国に亡命した黄長燁・元朝鮮労働党書記からも金氏のことを聞かされた。金氏は北朝鮮の複数の対南工作機関から資金を受け取っていたが、それを知った金日成主席が金氏のことを「フフフ、あのお人が」と言った。黄氏が亡命前に北朝鮮で直に聞いた話だったという。

南北首脳会談では韓国側が、北朝鮮の「低い段階の連邦制」を受け入れ、北主導の統一に事実上合意したものとして今なお問題視されている。

今も金氏が左派だったことに懐疑的な見方もあるが、李氏はこう述べる。

「左派は左派のふりをせず、革命の決定的時期が来て初めて正体をあらわにする。保守などの相手を圧倒できない時は守勢戦術を使い、民主化や環境などで自分を包み込む。金大中氏もうまく正体を隠したのだ」

金氏が大統領に当選すると、青瓦台(大統領府)の秘書官や閣僚などに学生運動出身者が一人ずつ起用されていき、野党も「完全に運動家の党にしてしまった」(李氏)。その系譜が現在の最大野党「共に民主党」につながっている。

そして金氏は自身の故郷である南西部の全羅道、特に反保守の牙城で軍事政権に市民が抵抗した光州の「蓄積された不満を政治的、組織的に吸い上げて利用することに成功」(光州市与党関係者)した。左派色が濃く、親北派の金大中氏を生んだ全羅道を保守派は「全羅人民共和国」と揶揄(やゆ)することもある。

金大中氏に続き政権を握った盧武鉉氏は高卒で弁護士になり、学生運動を直接経験していないが、釜山で労働問題の弁護をしていた時代、そこにいた学生運動出身者たちに感化された。そして朴槿恵大統領弾劾で政権を握った文在寅氏は学生運動出身者たちに迎え入れられ、歴代で最も露骨な親北路線を敷いた。

金大中、盧武鉉、文在寅の3氏とも北朝鮮との首脳会談を実現させ、多くの国民が表向きの平和ムードに酔いしれたが、3氏とも正体を隠したまま北の意向に沿ってさまざまな合意をした。韓国大統領が「北朝鮮ファースト」だった危うい時代である。(ソウル・上田勇実)

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