なぜ韓国は左傾化したか(5) 「主思派」登場 神学好きの一大学生が発端

韓国では近年、「主思派(チュサパ)に社会を牛耳られた」という話を時々耳にする。大学生時代などに北朝鮮の主体思想に傾倒し、その後、社会人になってもなお自分の思想信条のよろどころにしている人たちを総称して主体思想派、略して主思派と呼ぶ。

<前回>【なぜ韓国は左傾化したか】(4)「386世代」革命家にならずも共通認識

この国に主思派が誕生した最初のきっかけをつくったのが金永煥氏だ。1980年代にソウル大学で学生運動の洗礼を受け、卒業後に韓国で地下組織を結成したり、北朝鮮に秘密裏に渡って金日成主席に接見したりした。金主席や北朝鮮の実情に疑問を抱き、転向した。

取材に応じる金永煥氏(ソウル市内、12日撮影)

主体思想が学生運動に広がるようになった経緯は実にアイロニーに満ちている。

中学生時代からカトリック教会に通い、読書の虫だった金氏は、ソウル大学入学後、「古典研究会」という公認サークルに入り、先輩たちから「親北反日」色の濃い本を勧められて読んだが、「特別共感するものはなかった」(金氏)。夏休みに毎日図書館に通ったが、読んだ本の7割は神学関連、残り3割も一般哲学。学生運動やマルクス・レーニン主義の本は一冊も読まなかったという。

休み明け、キリスト教系の老舗書店へ行き、「キリスト教の本質」という本を偶然手にした。だが、内容は唯物論で、書店の人たちも中身までチェックしていなかった。その場で読破し、衝撃を受けた。「人々が主張する神はなぜ虚構なのか科学的、論理的に説明していた」(金氏)。自分の考えを打ちのめされた気がした。

その後、サークル活動で主要ポストを与えられず、自由になった金氏は哲学や学生運動のあり方、国家情勢などについて自分の考えをノートに綴(つづ)り始めた。誰かに見せるつもりなど毛頭なかった。ところが、サークルの仲間内で話題になり、後輩たちがタイピングして外部に配り、人気を博した。

4年生の3学期、82年に発刊された金正日の「主体思想について」の全文コピーをサークルの先輩たちからもらって読んだ。主体思想が最も体系的に説明されていた。魅力を感じたのは「レーニンや毛沢東と違って階級闘争を扇動するような内容がなかったから」(金氏)。当時すでに左傾化していた韓国の学生運動に疑問を抱いていた。

後に「鋼鉄書信」と呼ばれるA4用紙40㌻くらいの分量から成る手紙形式の文章が大学のみならず、会社員をはじめ労働運動や社会運動をしていた人たちにも読まれた。一説ではその数80万人に達したという。

ただ、文章は主体思想に関する内容には一切触れておらず、主体思想という言葉だけが2、3回出てくるだけだった。だが、学生運動の中で主体思想について公に言及したのはこれが初めてだったため、波紋を呼んだ。警察の捜査が始まり、金氏は潜伏生活に入った。

学生運動のメンバーたちはこの文章がきっかけで主体思想に関心を持つようになり、自発的に情報機関傘下のシンクタンクが研究者向けに出版した「原典・共産主義体系」などを読み漁(あさ)るようになった。86年のことだ。

金氏は同年末、釜山で逮捕されたが、学生運動は主体思想派が掌握。当時争点だった民主化と直接選挙制導入のための改憲を主張して野党と手を組み、「市民権」を得た。

「鋼鉄書信」が出回って4カ月後、金氏は学生運動が極端な「親北」に傾いたことを批判する文書を書いたが、それをタイピングし、配る後輩たちがみな警察に逮捕され、日の目を見ることはなかった。金氏は今、「この文章が広まっていたら韓国左傾化はここまでひどくならなかったかもしれない」と思っている。

(ソウル・上田勇実)

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