【なぜ韓国は左傾化したか】(1) 中朝の軍歌作曲し故郷に錦? 左派の解放区・光州

各種の掲示物が並ぶ「鄭律成通り」(光州市南区)

近年、韓国で社会の左傾化が問題視されている。弊害は国内はもちろん日韓関係をはじめとする外交や北東アジアの安全保障にも及ぶ。その実態に迫り、原因を探った。(韓国南西部・光州=上田勇実)

その女性が待ち合わせ場所に指定したのは、韓国南西部・光州市にある「全日ビル245」の8階カフェだった。このビルは1980年、全斗煥大統領が率いる軍事政権に反対する市民が民主化を求めて蜂起し、軍部・機動隊と衝突したいわゆる光州事件で、一部市民が立てこもった場所だ。「245」とは軍ヘリ機の射撃によりビルに残った弾痕の数。カフェからは数万人の学生や市民が集まった旧全羅南道庁舎と噴水広場が一望できた。

間もなく女性がやって来た。光州出身で市民団体で活動する張丁心さん。高校2年の時、光州事件を目の当たりにした。地元の全南大学に入った後も反政府デモに参加したが、ソウルに引っ越してしばらくすると、外から眺めた事件の意味は少し違っていたという。「多数の犠牲者を出した軍の弾圧は許せない。でも背景には南北が対峙(たいじ)し、北が光州の抵抗精神と民主化という大義名分を利用して韓国に反保守ムードを広げようとしていたこともあったのではないか」と張さんは語る。

張さんは結婚後、ソウルで事業を起こした。2016年、母親の看病のため光州に戻り、母校の大学で教育学の博士課程を踏んだが、そこにいた大勢の中国人留学生に驚いた。国政介入疑惑で朴槿恵大統領の弾劾を求め集まったソウルの大規模集会にこぞって動員されたからだ。駐光州中国総領事館から「ソウル見物をしないか」と誘われて行ってきたのだという。

張さんは今、光州で起きている一つの騒動を巡り多忙な日々を過ごす。北朝鮮と中国の愛国心溢(あふ)れる軍歌を作曲し、その功績で金日成主席から表彰され、中国共産党員にもなった光州出身の作曲家、鄭律成(1914~1976年)を記念する各種イベントや関連の施設造成がすでに10年以上前から市内の至る所で進められ、今年になって物議を醸しているからだ。

張さんの案内で同市南区にある通称「鄭律成通り」を訪れた。直線道路の約230㍍区間に沿って建つ公営マンション団地の外塀を使い、鄭律成の写真付き年譜や記念事業を紹介する掲示物などがズラリと並ぶ。ボタンを押すと代表曲のメロディーが流れるコーナーもある。1938年、中国共産党の革命根拠地である延安を称賛した「延安頌」を押すと、朗々とした曲が周囲に流れ出した。

鄭律成の名声を高めた「八路軍行進曲」は「勇ましく大陸的な躍動感を与える」(韓国メディア)中国の代表的軍歌。後に鄧小平国家主席の署名により人民解放軍の公式軍歌として正式採用され、朴槿恵大統領が参列したことでも話題になった2013年の中国抗日戦争勝利70周年記念式で行われた軍事パレードでも披露された。

鄭律成は青年期に中国に渡り、日本統治から解放された後に一時北朝鮮にも移り住んで「朝鮮人民軍行進曲」などを作曲。朝鮮戦争(1950~53年)が勃発すると、4カ月にわたり中国軍の従軍作曲家として戦場に赴き、「北朝鮮軍と中国軍の士気高揚のため朝鮮人民遊撃隊戦歌などを作曲した」(中国西南科技大学教授の論文)とされる。

鄭律成(チョン・ユルソン)本名・鄭富恩。1914年韓国全羅道光州郡(現光州市)生まれ。33年中国に渡り、南京でソ連出身声楽家から才能を見出され、「律成(旋律で成功するの意)」に改名。39年中国共産党に入党。「延安頌」「八路軍行進曲」などを作曲し、中国共産党や毛沢東に忠誠を誓う。一時北朝鮮に移り住み、「朝鮮人民軍行進曲」などを作曲。朝鮮戦争に音楽家として従軍。その後、中国に戻り76年死去。北京の「八宝山革命共同墓地」に埋葬される。
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