
極端な両国関係の将来は?
「これ何? 本当に素晴らしい」
今月1日、福岡の九州国立博物館で出会った60代の夫婦は、展示品を見ながら話をしていた。見ていた作品は知恩院所蔵の「五百羅漢図」だった。高麗・朝鮮時代の仏教美術品48点を集めた特集展示「うるわしき祈りの美―高麗・朝鮮時代の仏教美術」の展示品だ。
ソウルから来た夫婦が福岡を旅行地に選んだ理由の一つがこの展示会だという。あちこちで韓国語が聞こえ、韓国人観覧客がかなり多かった。展示会を見ようと日本まで行ったのかと思うかもしれないが、稀(まれ)な機会だということを考えると、それもありだと思う。
宗主国は韓国だが高麗仏画が最も多いのは日本だ。今に伝わる160点程度のうち約130点が日本にある。今回のように高麗仏画20点を一カ所に集めた展示会は日本でなければ難しい。高麗仏画の並外れた芸術性を愛好する人なら、国境を越える苦労ぐらいは喜ばしいことかもしれない。
高麗仏画でなくとも日本には韓国文化財が多く、質的に優れたものなども結構ある。国外所在文化財財団によると、今年1月1日現在、海外27カ国784の所蔵先に韓国文化財が22万9655点ある。このうち日本には9万5622点(41・64%)だ。これは公式的に確認された物で、知られていない物まで含めると日本の割合はもっと大きくなる。
日本で韓国文化財に出合うことは難しくも珍しくもない。日本を代表する東京国立博物館を訪れると最初に見る展示品が韓国の文石人、石羊だ。出入り口の向かいの庭に立てられている。東洋館「朝鮮半島室」には韓国でも見るのが難しい優れた考古遺物、陶磁器、仏像などが展示されている。五島美術館の代表所蔵品の一つが16世紀朝鮮で作られた井戸茶碗だ。「(日本にある)井戸茶碗の中で十指に入る名品」と誇っている。
日本にある韓国文化財は長く絡み合った、好きでもあり、とても嫌でもある両国の因縁の強力な証拠だ。高麗仏画が韓国より日本に多いのは、中世日本の上流層が高麗仏画を中国の絵と思って鑑賞したことと関連があるともいい、倭寇の略奪、壬辰倭乱(文禄の役)の結果という主張もある。東京博物館に展示された名品の相当数は「小倉コレクション」に属したもので日帝強制占領期(日本統治期)の文化財略奪と関連が深い。
こうした文化財を見ると、どんな国との関係でも肯定・否定の両面が存在するが、韓国と日本はひときわ極端だ。今の両国関係もそうだ。韓国人が最も多く訪れる観光地であり、韓流震源地であるのと同時に“反日”と“嫌韓”が強く渦巻いている。これからはどうだろうか。両国は互いにどんな存在になるだろうか。日本の中の韓国文化財の前で湧いてくる問いだ。
(姜具烈(カングヨル)東京特派員、10月16日付)
【ポイント解説】日韓文化財交流の仕組みを
日本にある韓国文化財の由来について、多くの韓国人は倭寇(武装商人)や文禄・慶長の役、また日本統治時代に「略奪」された物と漠然と思っている。たとえ商取引で正当に譲渡されたものであっても、日本人が売り手の無知につけ込んで買い叩(たた)いていったに違いないと信じているケースが多い。
言い換えれば、当時の人々は自分の文化財の価値を十分によく認識していなかったと言える。日用品だった高麗茶碗が日本では「城一つと交換される」と聞いて笑っていたのが実情だ。
また李朝が儒教を国教にしたため「斥仏揚儒」(仏教を排斥し、儒教を信奉する)が国策となり、寺院は城外、山奥に追いやられた。当然、経典も仏像仏画も打っ棄(ちゃ)られ無価値なものとして扱われる。仏教徒の日本人はそれをありがたがってもらい受けてきたのだ。「こんなものを買っていった」とバカにされながら。
だが後日、それらの手放したガラクタが実は価値あるものだと分かると、俄然(がぜん)惜しくなるのが人情だ。美術評論家で思想家の柳宗悦(1889~1961年)は「朝鮮の美」を見いだしこよなく愛し、その価値を韓国人に気づかせた。
今ではファッショナブルな街になったがソウルの骨董(こっとう)街・仁寺洞で1980年代に陶磁器を求めた際、店の老主人が「朝鮮の良いものは日本人が知っている」と自嘲気味に話していた。
その良いものを日本は国宝、重要文化財等に指定し保管して後世に伝えている。一方で、私蔵されていた文化財を還すという話が時々出てくる。ただその際大きな壁になるのが国宝や重要文化財の国外持ち出しが禁止されていることだ。私蔵品だから指定は免れているものの、相当な価値があれば、待ったを掛けられる。
私蔵されていた文化財を相続した遺族が、韓国に返還したいという話もあるという。日韓文化財の交流の仕組みを考えてみる必要がある。(岩崎 哲)