韓国の伽耶古墳群 ユネスコの世界遺産に登録

加耶大学校内に「高天原故地」石碑

金富軾著『三国史記』(上下)と一然著『三国遺事』(六興出版)

韓半島の南部、南に流れる洛東江(らくとうこう)とその西側の小白山脈に挟まれた地域に、『三国史記』と『三国遺事』に登場する伽耶(かや)の国があった。

紀元前後に登場して562年に滅びた。1970年頃から大規模な遺跡調査が始まり、92年には慶尚南道咸安で馬の鎧(よろい)が発見され伽耶史の研究に拍車が掛けられた。そして2013年、伽耶の古墳群が世界遺産の暫定リストに含まれて、9月、10年ぶりに世界遺産となった。

登録されたのは慶尚道と全羅道にある七つの古墳群だ。全羅北道南原市の酉谷里(ユゴクリ)と斗洛里(トゥラクリ)古墳群、慶尚北道高霊郡の池山洞(チサンドン)古墳群、慶尚南道金海市の大成洞(テソンドン)古墳群その他。

「伽耶古墳群は、周辺国と自律的かつ水平的な独特な関係性を維持し、東アジアの古代文明の多様性を示す重要な証拠になるという点」で、顕著な普遍的価値をもつと評価された。

伽耶の文化は「鉄の文化」と言われるように、鉄の産地であり鉄製品も多く出土した。

5世紀中葉から後半にかけて日本列島に移入された文物の多くが伽耶のものだったとされ、鉄製品も各地で出土している。馬の飼育と繁殖技術、馬具もそうだった。

高麗時代の僧、一然の記した『三国遺事』には、伽耶の歴史について記録した「駕洛(から)国(こく)記」があり、建国神話がある。亀旨(クジ)に、天から、容器に包まれた6個の黄金の卵が下りてきて男の子になる。1人は首露(スロ)で、大駕洛の主となり、残り5人も五伽耶の主となったという。

これらの国々は中央集権体制ではなく、連盟体であったという。王の首露と王后が新たな制度を定め、官を設けて職制を決めた時のことをこう記している。

「これによって国を治め家庭を整えるようにし、民草を子のように愛したので、その教化は厳粛ではなくとも威厳があり、その政治は厳しくはなくともよく行われたのである」。また「王が后とともにおられるのは、あたかも天が地を、日が月を、陽が陰を伴うのと同じく…」(金思燁訳)というもの。

慶尚北道高霊郡の加耶大学校内に高天原公園があり、日本神話に登場する高天原の故地とされ、1999年「高天(たかまが)原故地(はらこち)」石碑の除幕式と、第1回高天原祭が行われた。

(増子耕一、写真も)

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