トップ国際朝鮮半島李承晩氏再評価の動き 韓国「共産化防いだ」功績に光

李承晩氏再評価の動き 韓国「共産化防いだ」功績に光

親北派へのアンチテーゼ 強引な竹島取り込みも

今年、韓国国家報勲部が復元した上海臨時政府時代の李承晩氏)40代半ば)の写真(李承晩学堂提供)

韓国で初代大統領を務めた李承晩氏を再評価する動きがにわかに高まっている。これまで強権的な政治手法や不正選挙など負の側面が批判される傾向にあったが、共産化を防ぎ自由民主主義国家の樹立に貢献した功績にもっと光を当てるべきだという声が尹錫悦政権下で出始めた。李氏を冷遇した親北派とは対照的だ。(ソウル・上田勇実)

尹大統領は先週、日本統治下の独立運動に寄与した功労者の遺族らを招き、朝鮮独立の意義についてこう述べた。

「単純に日帝(日本帝国主義)に奪われた主権を取り戻しただけではない。王政復古でもなく、まして共産主義国家になろうとしたわけではなおさらなかった。国民が主人である自由民主主義国家をつくるための建国運動だった」

これは15日の光復節(日本統治からの解放日)を前に事実上、尹氏が独立に対する考えを明らかにしたもの。その上で尹氏は李承晩大統領記念館の建立を促した。尹氏に近い閣僚らからも「長く歴史の日陰に取り残されてきた李氏にもっと光を当てるべき」という李氏再評価の声が上がっていたという。

李氏は1875年生まれの独立運動家で、日本統治期の1919年、上海に大韓民国臨時政府を樹立し、初代臨時政府大統領に。解放後は朝鮮半島の南北分断に伴い大韓民国が建国された48年から下野する60年まで大統領を務めた。米国留学などで国際感覚を身に付け、朝鮮戦争休戦後は在韓米軍の駐留を認めた米韓相互防衛条約を締結。米韓同盟の礎を築いた。

一方、初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃するという改憲案を強引に通過させ、不正選挙に反発する市民を弾圧するなど、強権政治も目立った。大学生や市民による全国的な政権退陣デモにより下野し、妻フランチェスカ・ドナーとハワイへ亡命。そのまま帰国することなく、現地の施設で90歳の生涯を閉じた。

李承晩氏再評価の最大の理由は「李承晩大統領でなかったら、わが国は共産化されていた」(韓国キリスト教団体)という思いが保守派を中心に根強くあるためだ。解放直後の混乱期に南北同時選挙が取り沙汰された時、李氏は「南側だけによる単独政府を主張し、共産化を防いだ」(同団体)ことが功績として認識されつつある。

李氏亡命後、長期政権を敷いた朴正熙元大統領が李氏を蔑み、さらに国内左翼が李氏を巡る各種の人身攻撃を加えたことで、李氏は韓国国民に不人気な歴代大統領の一人として記憶されてしまった。再評価は「埋もれていた功績」に光を当てようというものだ。

さらに再評価の背景として見逃せないのは、国内親北派へのアンチテーゼという側面だ。

過度な親北路線を敷いた文在寅前大統領は、2019年の独立運動100周年記念行事で「李承晩の代わりに金九をクローズアップ」(韓国メディア)させた。金九氏は李承晩氏と同じ独立運動家だが、反共主義ではなく南北統一論者。北朝鮮外交官出身で与党・国民の力の太永浩議員は金氏について「北朝鮮に懐柔される恐れがあったのは否定できない」と指摘している。李氏再評価は北朝鮮ペースの南北融和に「NO」を突き付ける意味もある。

現在、李氏の記念館は北東部の江原道にある小さな元別荘を改造したものがあるが、李氏の功績を国民に知らせる役割は果たせていない。李氏の思想や独立運動を研究・広報する研究所「李承晩学堂」の朱益鐘理事は、記念館建立の意義について「大韓民国を建国したのは誰なのか、どういう国としてスタートしたのかを国民に知らせる出発点。韓国では親北派が何度も政治の主導権を握ってきただけに、記念館建立は韓国政治の変化を占う指標にもなる」と述べた。

なお、李氏は対日関係で強硬姿勢が目立った。1952年には当時、領有権が確定していなかった竹島(韓国名・独島)を自国領に取り囲むいわゆる李承晩ラインを一方的に引き、韓国は国際法上認められない実効支配を今日まで続けている。

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