梨泰院惨事を勢力間対決に
10月末に発生したソウル“梨泰院圧死惨事”は重ね重ね残念なニュースだ。外信でも「海外10大ニュース」の一つに選ばれそうな事故であった。発生2カ月になりつつあるが、遺族の胸の痛む思いは少しも解消される気配がなく、むしろ問題を増大する政治勢力は溢れるのに、解決する政治家は見当たらない。
今月中旬、セゲイルボ慶南昌原駐在のカン・スンウ記者は目に余る政治家の文章に接した。与党所属の昌原市議会議員がSNSにアップした文だ。「国を救おうとして死んだのか」から「子供を売って商売するという声が出ている」まで惨事の犠牲者と遺族に向けた呪いの視線が鮮明に表れていた。キム市会議員の文は政治を勢力間の対決としか見ず、一般人の涙には共感を示せない政治屋のパターンを典型的に見せている。
セゲイルボは事実上の加害者であるキム市議の名前を努めて出さずに匿名で報道した。苦痛はむしろ被害者側が被った。一部遺族は記事掲載後、「悪意溢(あふ)れる市議のSNS関連報道で2次被害を受けている」とし、「記事を修正するか見出しだけでも修正してほしい」と要請した。カン記者は部長である自分の同意を得て見出しを一部修正した。
セゲイルボの報道直後、さまざまなメディアがよく似た内容を報道したが、その後、キム市議はようやく文を削除した。後に政治の属性噴出を確認しなければならなかった。同僚議員の一部は彼の肩を持って「ガンバレ」と叫んだ。市議会で懲戒要求があったが、国民の力(与党)所属、27人の議員は誰も署名しなかった。遺族の除名呼び掛けに共感するよりは、キム市議に対する稚拙な擁護だけが繰り返された。彼らは間違った信念の砦にしっかりとどまっていた。
そのような彼らだから、100人をはるかに超える国民の生命を奪った安全事故は政府と政治が責任を負うことではないと確信しており、事故が自派の政治勢力に損害を及ぼしていると考えるのだろう。
政府と与党は「梨泰院惨事」に「セウォル号沈没」を連結させているようだ。一部では「梨泰院惨事をセウォル号のように惨事営業してはならない」という悲しく胸が潰(つぶ)れるような話をしたりもする。
与党の論理の通り梨泰院惨事が政治的な論争の種でなく、ただの大きい事故だったとしても、最小限事故の原因を明らかにし、明確な謝罪、今後の安全対策と応急救助体制づくりに積極的に取り組まなければならない。それは政府と与党の役割だ。大統領が率先垂範すべきなのは当然の原則だ。
1週間後には新年に向かう関心で溢れるだろう。安全に対する関心が来年を貫く意識にならなければならない。ほとんどあらゆる分野で国際的な標準をつくりつつある韓国は、政治についてもそれ相応の資格を持たなければならない。安全まで政派的な計算にする政治屋を排撃する有権者が増える時に可能になるだろう。われわれにはそれができる。
(パク・ジョンヒョン社会2部長、12月21日付)