【韓国紙】修能試験が祝祭になる世の中を夢見て

【ポイント解説】現代の「科挙」修能試験

韓国の新学期は日本より1カ月早く3月に始まる。したがって大学入試も早く、先月17日に行われた。子供の成功を祈って寺の門や塀に餅を投げつけて敬拝する母親の映像がニュースに載るのが常だった。餅はくっついて落ちない、というゲン担ぎだ。それが、最近は高校の後輩たちが会場前に陣取って、試験に臨む先輩を応援する光景や、渋滞で遅れそうな生徒をパトカーが送る様子が伝えられるようになった。

李朝まで「科挙」を行ってきた韓国では国が行う大学入試はまるで科挙そのもの。受験のために全国から都に集まる受験生が宿泊する「考試院」は人一人が寝て机に向かうだけの宿泊スペースだが、現代の予備校通いの貧しい受験生の宿泊施設がまさにそれで、彼らはそこで寝食を忘れて勉強に励む。

成績によって受験できる大学が決まるが、決まるのはそれだけでなく、その後の人生までほぼ決まってしまうことから、受験生、保護者、親族までがこの試験に大きな期待をかけ、負担もまた負うことになる。「SKY」(ソウル大、高麗大、延世大)と呼ばれるトップ校を卒業しなければ、一流企業への就職が難しいのだ。

ただし、これほど厳しい知識重視の受験や大学教育の質がその厳しさ並みの成果を約束しているかと言えばそうではない。記事でも指摘しているように、世界基準から見れば創造性や疎通力で及ばないのである。

その改善策として金重白教授は予算の増額を提案している。確かに教育費の引き上げは一定の成果を得られるだろうが、根本的な解決にはならない。韓国の学歴に対する考え方を社会全体で変えていかないことには真に世界に通じる大学、学生を作ることはできない。伝統校、一流校でなくても、能力のある学生を企業が採るようにしないことには、学歴社会は打破できず、大学序列の思考パターンから解放されないのである。

日本でも程度の差はあれ、大学序列は就職に影響するが、韓国との違いは大卒でなくても成功が可能な社会であるということだ。学歴よりも能力を重視する。韓国ではこれを「職人社会」「匠の伝統」というが、それを知っていながら、簡単には導入できないところに“伝統”のくびきがある。

(岩崎 哲)

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