投資が大学水準高める
毎年12月の本格的な入試時期に入ると、メディアは大学修学能力試験(修能=日本の大学入学共通テストに相当)の満点者を紙面に載せる伝統がある。今年も違わず現役2人、浪人1人がその光栄に浴した。
だが、試験で1問も間違わず志望大学の合格が事実上保証されたという理由だけで記事のヘッドラインを飾る現象は、大韓民国の高い教育熱が結局、大学入試のための道具にすぎないことを見せている。
勉強の成果が修能で評価され、これを通して1人の人生の大きな部分が決定される、この過程が個人と社会のために必要かどうか省察してみる必要がある。修能が大学教育に必要な能力測定に最も適合しているかどうかは疑問を持たざるをえない。なぜなら、大学で施行される教育の本質が急速に変わっているからだ。
文明史的な転換期に直面するこの時点において、大学教育の核心は単純な知識伝達にとどまらない。創意的な統率・包摂能力、難題に挑戦し、世の中と疎通する能力、共同体実現に寄与する市民の力を教えて学生たちを訓練させる方向へ転換されつつある。
だが、今の教育熱がこのような高等教育の時代的変化に符合しているとは見えない。修能が必要というなら、この試験を一種の最低基準を合わせる方式に切り替えて、これを越える学生が進学したい良い大学の数を増やし、進学後に受ける大学教育の水準を高める方向へ視点の転換が必要だ。
大学教育の水準を高めることは決断の問題であり、これに対する解決策もすでに出ている。大学への投資を増やすことだ。2022年高等教育予算は11兆9000億ウォンで初中高予算の6分の1水準だ。そのうち40%の4兆6000億ウォンは国家奨学金だ。
たとえ奨学金の助けで学業を続けられても、世界水準の大学に在学中の同世代が受ける教育は受けることはできない。なぜなら10年以上、授業料は凍結されているが、一般大学全体を対象にする大学教育力の強化予算はせいぜい5117億ウォンにすぎないからだ。
ソウル大一校を支援する政府資金が5379億ウォン(22年)であることを考慮すれば、大学教育に政府と国会がどれくらい無関心なのか分かるだろう。ソウル大の歴史性と象徴性は認めても、それに次ぐレベルの大学を作るには合理的水準の財政支援さえあれば、決して不可能なことでない。たとえば発展能力を持つ大学20校に1年に500億ウォンずつ、すなわち毎年1兆ウォンでも10年以上着実に支援すれば、その大学は現在の学生たちが好む有名大学、さらに世界的に競争力ある大学レベルに明確に到達できる。
今は青年世代が活動し競争する舞台は狭い大韓民国を越えて全世界であり、同時に現実の向こう側の仮想世界だ。大学序列化と地域空洞化という古い観点を超えて、高等教育の発展を通じて国家全体が発展できるモデルを樹立しなければならない。青年世代が成長し挑戦できる希望の根拠地として大学を発展させよう。そして修能をより大きい学びの場へ向かう祝祭の場としよう。青少年を修能のくびき、入試の足かせから抜け出させる責任は全て既成世代にある。
(金重白慶煕大教授、12月13日付)