【ポイント解説】「責任転嫁」政治にうんざり
人のせいにする。責任を転嫁する。なすりつける。現在、韓国の政界で行われていることだ。しかもヨイド(日本でいう永田町)の理屈が国民にまで広がっている。というか、もともと責任転嫁はこの民族のネイチャー(本性)でもある。もっとも国を問わず人間の本性とはそういうものであり、それが歴史的地理的環境条件によって、より強く出るかどうかの問題なのだろう。
スポーツでも、負ければ、審判のせいにする、相手選手のせいにする、揚げ句の果てには「観客席に他国の旗が見えた」などとまで難癖をつけて、結果を自らに問わず、他のせいにする。そうした姿をみるにつけ、「~のせい」は彼らに根付いた抜きがたい本性なのではないか、という印象を世界の人々に植え付けている。
現在、朝鮮半島には分断が残っている。終戦後の米ソ対立の国際政治によってもたらされたものだ。当時自らそれを打開できる状況ではなかったし、その力もなかった。なので、この状況は「他のせい」でもたらされたという考えを根付かせていく。
さらに「そもそも日韓併合がなかったならば」と責任を日本にまで問う。そうした因果関係がこじ付けだとしても、誰かの「せい」にしなければやりきれない境遇だった。
だが、韓国は現在OECDに加盟し“世界10位圏の経済大国”となり、Kポップや映画、ドラマは世界を席巻し、スポーツでも成績を上げている。境遇を理由に嘆く立場からは抜け出している。むしろ、先進国として途上国を助け、世界貢献が求められる身分だ。
これを自覚し、悪癖を直すにはまず政治が成熟し、率先垂範しなければならない。そうしてこそ国民が自覚し従うものだろう。新年の韓国ネット界隈では「タックル」(ネット上での難癖、ケチをつける書き込み)が溢(あふ)れないようにと、他国のことなのに、いらぬ心配をしてみる。
(岩崎 哲)