「全員が平壌市内に居住」 日本人拉致被害者とその子供

元北朝鮮工作機関幹部が証言 めぐみさん巡り「驚く話ある」

北朝鮮により拉致された日本人被害者とその子供ら家族全員が、朝鮮労働党統一戦線部の“管理”の下で少なくとも2013年まで平壌市内に居住し続けてきたことが明かになった。北工作機関「偵察総局」の元幹部で14年に韓国に亡命したキム・グクソン氏が22日、日本メディアの取材では本紙に初めて応じ、明らかにした。被害者らは北朝鮮の海外工作に協力させられる目的で拉致され、極秘に付す必要性から現在も同じ場所にとどまっている可能性が高い。(ソウル・上田勇実)
キム・グクソン 1959年平壌生まれ。金策工業総合大学や金正日政治軍事大学を卒業後、朝鮮労働党で勤務。対外連絡部(現、文化交流局)、作戦部、35号室(現、対外情報調査部)、偵察総局などで工作を企画立案。金正恩総書記の叔父、張成沢氏の処刑を契機に2014年に韓国亡命。同年から19年まで国家情報院傘下の国家安保戦略研究院で研究委員。昨年10月、英BBCのインタビューで初めてメディアに登場し話題となった。

キム氏は対外連絡部や作戦部など党工作機関に25年以上勤務し、特に工作の企画立案を主導するなど各機関をまたいで事情に精通し、「韓国に亡命した工作機関出身の脱北者では最高クラス」(韓国治安筋)。日本人拉致被害者5人が帰国を果たすきっかけとなった02年の日朝首脳会談では、国交正常化の呼び水として金正日総書記に拉致の事実を認めさせ、被害者を日本に帰国させることを自ら提案し、金総書記から承認されたという。

キム氏によると、被害者とその子供らは「南朝鮮(韓国)解放(=朝鮮半島の赤化統一)」という大きな目標に向け、「工作員が日本人として活動できるよう日本語を習得させたり、その日本人に成り済まして韓国に侵入するため」拉致したという。

平壌での生活は「食べる物、着る物、使う物などに不自由しないよう党が配慮し、北朝鮮では極めて上流の生活」をしている一方、「外部の人とは接触できず、外出も集団で車で移動」し、子供たちは「仮名で地元の学校に通い、車で送り迎えしている」という。

日朝首脳会談で北朝鮮側が発表した被害者の「8人死亡」について、キム氏は「全て嘘(うそ)」と断言。「墓地が洪水で流されたと言ったり、被害者が精神病院に入院したという(北朝鮮側の)話も全てデタラメ」と述べた。北朝鮮当局がこれまで「生存者はすでに全て帰国した」と繰り返し説明してきたことを元当事者が初めて全面否定した形だ。

被害者の一人で「8人死亡」の名簿に入っていた横田めぐみさん=失踪当時(13)=に関し、キム氏は「皆が驚くような話もある」と述べ、生存の証拠があることをほのめかした。

日本に帰国した被害者5人がそのまま日本に定住したことについてキム氏は「北朝鮮に戻すという約束を日本が破った」と主張。このため「金総書記は大恥をかき、日本との間に大きな溝ができた」と述べた。キム氏も金総書記も5人帰国で「日本国民が喜ぶと思ったが、予想外に抗議の声が上がった」とした上で、「何十年も解決できなかった拉致問題の解決の糸口をつかんだのだから、日本はもっと大きな目標を見据えて肯定的に捉えるべきだった」と述べた。

日本人を「これ以上連れて(拉致して)こなくてもよくなった後も日本への工作は続いた」(キム氏)。その一例としてキム氏は「金英哲が(09年に)偵察総局の局長になった後、日本の右翼団体幹部を包摂し、北朝鮮核問題をめぐり日本が米国の主張に同調しないよう働き掛けさせたことがある」と明らかにした。

世襲維持に利すれば拉致交渉 キム・グクソン氏との一問一答

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