包括的な同盟に発展を
バイデン米大統領が尹錫悦(ユンソンニョル)政権発足直後の5月21日頃、韓国を訪問する計画が議論されているという。同月24日と予想される日本でのクアッド(米国・日本・豪州・インドの4カ国の枠組み)首脳会議に先立ち、バイデン大統領の訪韓と韓米首脳会談が行われる見通しだ。首脳会談が早期に実現する場合、弛緩した韓米同盟の復元と韓米日安保協力の再構築を対外的に誇示することになる。
これは今年に入って10回以上のミサイル試験発射を含む武力示威をしてきた北朝鮮に警告メッセージを与えるもので、北朝鮮に対する抑止効果を期待することができる。
また、韓米自由貿易協定(FTA)10周年を迎える両国間の安保・通商協力を一次元高める機会になるだろうと見る。
こうした中、大統領執務室と駐韓米国大使館が龍山へ移転する。米大使館は1968年から位置した光化門時代を締めくくる。そして大統領執務室は1948年、初代李承晩(イスンマン)大統領の景武台から第4代尹潽善(ユンボソン)大統領の青瓦台への改称後、第13代盧泰愚(ノテウ)大統領が現在の本館を新築。そして5月の第20代大統領就任に至って龍山へ行くことになる。
大統領職引き継ぎ委員会の青瓦台移転タスクフォース(TF)は今月15日、報道資料で、龍山大統領執務室の名称と提案理由を公募すると発表した。青瓦台に代わる大統領執務室の名称を国民から公募することで、青瓦台時代を締め括るということだ。
青瓦台移転TFは大統領執務室の移転を権威主義と帝王的大統領制の象徴である青瓦台を抜け出して、政府が国民の中に歩み寄る歴史的な意味が込められていると語っている。
米大使館の龍山移転推進は2005年、両国政府が“移転に関する覚書”を締結した後、11年にソウル市が米政府と大使館建築に関する覚書を締結してから本格化した。昨年、ソウル市は米大使館の龍山移設地を発表し、必要な法的手続きを終えて、23年頃に着工、26年頃完工と予想している。
03年、韓米首脳が龍山米軍基地の平沢移転に合意した後、16年から龍山基地の平沢移転が進められている。龍山公園はソウルの中心に位置する米軍基地の場所に造成されるわが国最初の国家公園だ。
大統領執務室と米大使館の龍山移転は象徴的意味が大きい。これまで光化門の米大使館と龍山米軍基地は韓米同盟の象徴であり、敬遠と愛憎の対象だった。これで首都ソウルの中の米国のランドマークが歴史の中に消えることになる。
新しい龍山時代を迎えて両国政府は韓米同盟を価値共有に基づいた一次元高い包括的な同盟へと発展させなければならない。現在、議論されている来月の韓米首脳会談がこれを知らせる起点になることを願う。
(李相桓(イサンファン)韓国外大教授、4月18日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
【ポイント解説】ダイナミックな政治決断
大統領官邸の移転を新大統領が決断し実行してしまう。韓国政治のダイナミックさを示している。日本で首相官邸を今の永田町から別の場所に移転しようとすれば、10年を超える議論と計画立案で時間を取るうちに立ち消えになるかもしれない。
韓国では政権交代の象徴として、官邸の移転と、長年、龍山に位置していた広大な米軍の敷地を公園にしてしまう計画が尹錫悦(ユンソンニョル)次期大統領によってあれよあれよという間に進められている。
龍山は象徴的な場所である。李朝時代、都は城壁に囲まれ、軍隊はその外側に置かれた。城壁の南に位置する宗禮門(通称南大門)の外に「南営洞」という地名があるが、これはその名残だ。清が軍隊が駐屯させていた。
日清戦争(1894~95年)で清を追い出した日本はそこに軍を置いた。日本敗戦(45年)の後、代わって米軍がその南の広大な土地に駐留するようになる。現在一角には国防部庁舎があり、戦争記念館も作られた。
このように龍山は「軍」と縁の深い土地である。と同時に常に外国の勢力が位置してきた。その場を国政の中心地として、国政の司令塔を置き、隣接して国家公園を設置する。ようやく韓国が龍山を平和的に話し合いで取り返したともいえる。
李朝の王宮「景福宮」の奥に青瓦台は位置し、ソウル市を見下ろしていた。権威的であり、民から遠い。だから民衆は景福宮の正門「光化門」前の大通りに集結して集会デモを繰り広げ、大統領(王)に民の声を届けようとした。光化門通りに面して米国大使館があり、政府糾弾の声に反米の声が混じることもしばしば。「民主革命」と呼ぶ「ろうそくデモ」もこの場を人波で埋めて行われた。
今後、官邸の移転でこうしたデモはどこで行われるようになるのか。もう「街頭デモ民主主義」は終わりにするのか。城外へ出て軍営地に官邸が移る意味は、等々。さまざまな転機をもたらしそうな龍山移転である。
(岩崎 哲)