迎撃の防衛網が無力化
袖にされた文氏の終戦宣言
北朝鮮は先月、1カ月に7回という異例の頻度で各種ミサイルを発射したが、これを機に韓国では北朝鮮のミサイル発射地点を先制攻撃する敵基地攻撃論がクローズアップされている。ただ、現状では移動式発射台や海中からの潜水艦発射型などへの対応は困難とみられ、来月の大統領選を経て5月に発足する次期政権が向き合う重い課題となりそうだ。(ソウル・上田勇実)
次期政権の課題に
「尹候補は最近、先制攻撃論に言及したが、大統領候補としては極めて軽率な発言だ。軍の指揮官は交戦勝利が目的だが、大統領は戦争自体が起きないよう政治的、外交的リーダーシップを発揮すべきではないのか」(左派系野党「正義党」の沈相奵候補)
「戦争をしようというのではなく、戦争を抑止し平和を守るためだ。そして戦力としての武器だけが重要なのではなく、積極的な意志を示すこと自体が戦争を防ぐことにつながる」(保守系最大野党「国民の力」の尹錫悦候補)
これは先週初めて実施された大統領候補たちによるテレビ討論会での応酬だ。尹氏は先月12日、北朝鮮による核搭載ミサイルを想定した場合、「キル・チェーンという先制攻撃以外に方法はない」と述べ、「危険な戦争挑発の主張」(与党「共に民主党」大統領候補の李在明氏)などといった批判が北朝鮮に融和的な左派陣営から上がっていた。
北朝鮮は先月、極超音速ミサイル、鉄道発射型の戦術誘導ミサイル、巡航ミサイル、地対地戦術誘導ミサイル、そして中距離弾道ミサイルを相次いで発射した(表参照)。このうち極超音速ミサイルは音速の5倍以上のスピードで弾道ミサイルより低い高度を上下左右に変則的に飛翔、戦術誘導ミサイルはロシアの「イスカンデル」を改良したものといわれ、これも低空変則軌道を飛翔(ひしょう)。いずれも迎撃が困難とされる。
そして中距離弾道ミサイルに至っては、通常より角度を付けて高く打ち上げる「ロフテッド軌道」で行われ、最大射程は5000キロで米国のハワイ、アラスカを射程に入れている。ロフテッド軌道なら急降下で韓国を攻撃することも可能だ。
こうした北朝鮮の各種ミサイルの大半は「自然落下の軌道を描く弾道ミサイルを想定してきた韓国軍の防御網を無力化させるもの」(金泰宇・元韓国国防研究所責任研究委員)だったようだ。現在、韓国では低高度、中高度、高高度に分けた多層防御体制で迎撃ミサイルを配備しているが、北朝鮮ミサイルの技術高度化に追い付いていないのが実情。高高度防衛ミサイル(THAAD)導入をめぐっては、文在寅政権が中国の反発を懸念し、追加配備を意図的に遅らせているというお粗末さだ。
そこで浮上しているのが先制攻撃論というわけだ。だが、課題も多い。米韓の軍当局は偵察衛星などでミサイル発射基地やそれにつながる道路、鉄道、トンネルなどを監視しているといわれるが、移動式発射台が増加し、監視時間にも限度があることから発射の兆候を完全に把握するのは事実上不可能だ。
ある退役軍人団体は「核・ミサイルの脅威を前提にした米韓連合作戦計画を発展させた先制攻撃能力の増強」を求める声明を発表したが、仮に来月の大統領選で再び親北派の李氏が当選した場合、ひびが入った米韓同盟の修復はさらに遠のく。
北朝鮮によるミサイル発射は、文大統領が執着し、北朝鮮にとってもメリットがあると思われてきた「朝鮮半島の終戦宣言」にも決定的な影響を及ぼしたとみられる。
ある米韓筋はこう指摘する。
「米国は韓国の左派陣営が終戦宣言を在韓米軍撤退や米韓同盟解体などの口実として利用すると見抜き、決して文氏が要求する終戦宣言には同意しないであろうということを、北朝鮮は悟っている。今回のミサイル発射には『終戦宣言放棄』のメッセージも込められているのではないか」
文氏としては北朝鮮に良かれと思い、国際社会にも呼び掛け続けた終戦宣言だったが、最後はその北朝鮮に袖にされた格好だ。