韓国発展の基礎築く、「功」にも目を向けるべきだとの声
韓国の歴代大統領の退任後が、国家の元老として、政界や国民の尊敬を集め、それなりの待遇を受けるかといえば、決してそうではない。実態はその真逆だ。暗殺・逮捕・収監・自死といった“悲惨な末路”を辿(たど)った人がほとんどなのである。
初代の李承晩(イスンマン)から朴槿恵(パククネ)まで18代11人の退任後を見ると、亡命が1人、暗殺1人、有罪判決5人、自死1人、親族の逮捕・訴追が2人だ。穏やかな余生を送ったのは崔圭夏(チェギュハ)たった1人である。
極端な親北左派政策を推進しながら、南北関係は膠着(こうちゃく)し、外交でも不協和音を出し続けた文在寅(ムンジェイン)政権も残すところ4カ月。やはり彼の退任後も、経済、失業、不動産など数々の失政や親族の不正が追及され、訴追は免れないとみられている。
韓国で退任大統領が厳しい批判と試練に晒(さら)されるのは、新政権が自身の「正統性」を打ち出すために、前政権を血祭りに上げるからだ。功罪ある中で、罪ばかりがあげつらわれ、功は見向かれもしない。批判するのだから、功など無視されるのは当然といえば当然だが。
しかし、歴代大統領が罪ばかり犯したかといえば、そうではない。韓国がこれまで発展してきたのには、彼らの努力があったからだ。韓国が最も発展した時期を挙げるとすれば、1988年のソウル夏季五輪を成功させた80年代だろう。この時、大統領の職にあったのは全斗煥(チョンドファン)と盧泰愚(ノテウ)である。
去年、この両元大統領は相次いで鬼籍に入った。陸軍士官学校で共に過ごし(11期)、朴正煕(パクチョンヒ)大統領暗殺(79年)から、それに続く国難期を乗り切り、韓国を発展の軌道に乗せた2人だ。しかし、両者は後の政権によって訴追、収監された。後日、特赦されたとはいえ、罪名を帯びたまま棺(ひつぎ)を蓋(おお)ったのである。
月刊朝鮮(1月号)がこの2人に照明を当てている。全斗煥と盧泰愚時代は経済発展とともに民主化の端緒をつかんで、国がぐんぐん上昇していった時期だ。この時、大学キャンパスで火炎瓶を投げていた学生が今の権力層を形成している「86世代」である。
彼らからすれば、80年の光州事件を鎮圧した全斗煥は「虐殺者」になるだろうし、韓国政治史に画期的な87年の「6・29民主化宣言」を出したとはいえ、盧泰愚は「不正蓄財者」になる。
しかし、そうした色眼鏡でなく、彼らの功罪を「客観的な見解と総体的な方式」で眺めれば評価はまったく違ってくる。そのことを韓国民は知っておくべきだというのが同誌が強調するところだ。
両者の個人評価を一言ですれば、全斗煥は「正統性の弱点を経済発展と平和的政権交代で挽回した大統領」であり、盧泰愚は「超人的な忍耐を繰り返して真の民主化を成し遂げた大統領」となる。同意し得る客観的な評価だ。
全斗煥は朴正煕暗殺後の混乱期、粛軍クーデター(79年)で権力を掌握した経緯から「正統性」で弱点を持っていた。しかし、大統領に就いた後の猛勉強と的確な経済政策で「物価安定を通した経済成長」を実現し、さらに「ソウル五輪誘致、そして平和的政権交代という業績」を残した。
盧泰愚は軍服を脱いで初の民選大統領を実現した。また「北方外交」を通じて共産圏と国交を結び、91年には南北同時国連加盟を成し遂げる。国内では高速鉄道KTXをはじめとする社会間接資本の立案・建設、ソウル首都圏での複数の新都市造成、等々、現在の韓国の基礎を築いた。
この2人がいなかったとすれば、今日の韓国はない。2人によって実現した民主化の恩恵を受けて大統領になった後任者たちは、彼らの功には目もくれず、罪だけを問い、この30年間、両者を「晒し者」にしてきた。
同誌は「偏狭な見方から抜け出して歴史の2人の主役を相対的に評価してみてはどうだろうか」と問う。それができる時、韓国はもっと強固で安定した民主社会になるだろう。(敬称略)
編集委員 岩崎 哲