トップ国際欧州建国70年、揺れ動くオーストリア 国是・中立主義の見直し イスラム系移民が急増

建国70年、揺れ動くオーストリア 国是・中立主義の見直し イスラム系移民が急増

スイスのベルンで、対空防衛システムの共同調達枠組みの意向趣意書署名式に臨む(左から)ピストリウス独国防相、スイスのアムヘルト国防相、オーストリアのタンナー国防相=2023年7月8日(EPA時事)
スイスのベルンで、対空防衛システムの共同調達枠組みの意向趣意書署名式に臨む(左から)ピストリウス独国防相、スイスのアムヘルト国防相、オーストリアのタンナー国防相=2023年7月8日(EPA時事)

 アルプスの小国オーストリアは10月26日、再独立から70周年の建国記念日を迎えた。国是の中立主義はその価値を失い、国民の精神的支柱だったキリスト教の信仰が希薄化する一方でイスラム系移民が急増、変革の時を迎えている。(ウィーン小川 敏)

 1955年5月、連合国軍4カ国との間で交わされた「オーストリア国家条約」の規定に従い、オーストリアは同年10月、「永世中立に関する連邦憲法法規」(中立法)を制定して永世中立を宣言した。当時のレオボルト・フィグル外相がベルベデーレ宮殿内で「オーストリア・イスト・フライ(オーストリアが自由に)」と叫び、再び独立国となった喜びを国民と共に祝った。建国記念日には首都ウィーンの英雄広場で毎年、連邦軍が戦車やヘリコプターを披露してウィーン市民に国防の実態を紹介する。多くの親子連れが見学にやって来る。文字通り、国民的祝日だ。

 オーストリアは再独立後、中立国家としてスタートしたが、国体は時代の変遷の中で大きく揺れ動いてきた。軍事同盟には参加せず、冷戦時代には東西間の懸け橋的な調停外交を展開する一方、中東・バルカン半島の紛争時には国連平和維持軍に参加、また国連の専門機関をウィーンに誘致し、国連外交を推進してきた。

 ウィーンには国際原子力機関(IAEA)、国連工業開発機関(UNIDO)、石油輸出国機構(OPEC)、欧州安全保障協力機構(OSCE)など30を超える国際機関がある。

 冷戦時代には中立主義がその価値を発揮できたが、ロシア軍が2022年2月末、ウクライナに侵攻して以来、中立主義の見直しが叫ばれ始めた。欧州の4カ国の中立主義国のうち、フィンランドとスウェーデンは北大西洋条約機構(NATO)に加盟したが、スイスと共にオーストリアは依然、中立主義を堅持している。

 スイスは中立主義の定義の再考(「協調的中立主義」)や武器再輸出法案の是非を検討するなど試行錯誤。一方、オーストリアでは中立主義との整合が問われるような政治的動きが出てきた。例えば、対空防衛システムの共同調達枠組み「欧州スカイシールド・イニシアチブ(ESSI)」への参加だ。

 それに対し、極右・自由党のキックル党首は、「スカイシールド参加と中立主義は一致しない。NATOとロシアが戦闘した場合、わが国はその戦禍を受けることになる」と強く反対した。

 オーストリアには冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏から政治難民が殺到、その数は200万人にも及び、「難民収容国家」と呼ばれていた。冷戦終焉(しゅうえん)後の15年、中東・北アフリカから100万人の経済難民が欧州に殺到し、移民・難民の収容問題が大きな政治課題となった。

 移民・難民の増加は外国人排斥、反移民政策を標榜(ひょうぼう)する自由党の躍進をもたらしている。昨年9月29日に実施された国民議会選挙で自由党は約28・8%の票を獲得して、連邦レベルで初めて第1党に躍進したばかりだ。

 オーストリアはローマ・カトリック教国だ。終戦直後、カトリック信者は国民の80%以上だったが社会の世俗化、教会の聖職者の性犯罪問題の発覚もあって、信者数は現在、50%台に急減し、あと10年もすれば半数割れは確実とされている。同時に、イスラム系移民が急増し、ウィーンの一部小学校ではドイツ語を母国語としない生徒がクラスの過半数を占め、学力低下の原因ともなっている。

 政府は不法移民・難民の規制、国境監視の強化を実施する一方、イスラム系移民の統合政策を推進している。シュトッカー政権は9月、14歳未満の女子に対して学校でスカーフの着用を禁止する法案を閣僚決定している。ウィーンの「都市の風景」は大きく変わってきた。

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