
バチカン市のサン・ピエトロ広場で26日午前10時(現地時間)、先月21日の復活祭後の月曜日に88歳で亡くなったフランシスコ教皇のレクイエム・ミサが挙行された。広場には約50人の各国首脳や政府代表、10人の君主、その他、世界各地から大勢の人々、信者たちが参加した。ミサは枢機卿団長のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿が執り行った。
サン・ピエトロ大聖堂に安置されていた教皇の棺はミサが始まる前にサン・ピエトロ広場に運ばれた。23日から25日まで3日間にわたる送別行事が行われ、イタリアのメディアによると、約25万人の人々がフランシスコ教皇の棺の前で最後の別れをした。その後、教皇の顔は白い布で覆われ、教皇職の公文書と現行の硬貨が棺の中に置かれ、棺は亜鉛製の蓋と木製の蓋で閉じられた。式典ではラテン語の詩篇が唱えられたという。
葬儀ミサには、トランプ米大統領夫妻、マクロン仏大統領夫妻のほか、ウクライナのゼレンスキー大統領夫妻も参加した。ちなみに、貴賓席は教皇の出身国アルゼンチンのミレイ大統領、イタリアの大統領が最前線で、次は王室、大統領、その後はフランス語のアルファベット順に席に着くことになっていた。ミサは2時間余りで終わり、最後には、ラテン語で「祝福と別れの儀式」と呼ばれる特別な告別式が行われた。
ミサが終わると遺体は一旦、サン・ピエトロ大聖堂に戻された後、ヴェネツィア広場を通り、コロッセオを通過してサンタ・マリア・マッジューレ教会まで約30分間、車で運ばれ、そこで埋葬された。ちなみに、教皇がバチカンの外で埋葬されるケースはまれだ。最近では1924年、既に亡くなってサン・ピエトロ大聖堂に埋葬されていたレオ13世がサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に移されている。
26日のローマは快晴に恵まれた。広場周辺は外国からの貴賓の安全を守るために1000人を超える警察官が配備され、陸軍特殊部隊がドローン防衛装備でサン・ピエトロ広場を警備した。
当方はオーストリア国営放送(ORF)のライブ中継でフランシスコ教皇の葬儀ミサをフォローした。快晴の中、赤い法衣をまとった枢機卿たちや世界各国の首脳たちが見守る中、レクイエムミサは厳かに行われた。
石灰岩と大理石で出来たサン・ピエトロ大聖堂の前の中央の広場には簡素な木製の棺が置かれていた。その書割を見ながら、「清貧の聖人と呼ばれたアッシジのフランチェスコを愛したフランシスコ教皇は最後まで質素な生き方を貫きたかったのだ」ということを感じた。