【パリ安倍雅信】フランスの右派政党「国民連合」(RN)の前身「国民戦線」(FN)の創設者、ジャンマリ・ルペン氏が7日、96歳で死去した。ルペン氏は第1次インドシナ戦争出征を経て、1956年に27歳で下院議員に初当選し、72年にFNの前身「新秩序」を創設。オイルショックで失業した人々に「移民が職場を奪っている」と主張し、支持を集めた。
アフリカなどから逃れてきた移民に対し、「愛国心があるなら自分の国に帰って復興に尽くすべきだ」と主張。フランス最優先の政策で、80年代には貧困層だけでなく富裕層にまで支持を広げた。強力な反共主義者で、フランスに広がった左翼思想に徹底して抵抗したため、左派勢力は激しく反対した。
演説最中に反対する女性にハイヒールのかかとで頭部を殴られ、片目を失いながらも、演説を続けた武勇伝を持つ。一方で、「ナチスの集団虐殺は大したことではない」などの暴言や、極右過激派ネオナチの暴力を助長する発言などで訴訟が絶えなかった。2002年大統領選で決選投票に勝ち進んだ時は「ルペンショック」と呼ばれた。結果はシラク氏の圧勝だった。
11年に党首を退き、娘のマリーヌ・ルペン氏が跡を継いだ。マリーヌ氏は政権政党を狙うため、党名も国民連合に変えたが、父親と対立。ルペン氏は娘によって一度除名された。その後、関係は修復され、22年大統領選でマリーヌ氏が決選投票に進出したことを喜んでいた。
欧州に右派ポピュリズムが広がる中、国民連合は確実に勢力を拡大。24年下院選で議席を伸ばし、議会第3勢力となった。昨年の欧州議会選でもフランスで最多議席を獲得し、安定した右派勢力となった。