一緒の時間楽しむ
内閣府が6月上旬に発表した合計特殊出生率(一人の女性が一生のうちに出産する子供の平均数)は1・33だった。世界銀行によれば208カ国中、日本は191位という低さだ。このまま推移すれば、今世紀末には人口半減という予測データも出ている。出生率低下は経済成長や社会保障の維持を難しくし、将来への懸念からさらに結婚や子供の数が減る悪循環も指摘される。起死回生策はあるのか、平成国際大学名誉教授の佐藤晴彦氏に聞いた。(聞き手=池永達夫)

――出生率低下が著しいが展望は。
今の政策のままだと日本の人口は2100年ごろ、7000万人くらいまで落ちるように思う。
いい改革案が出ていないことが問題だ。
――ずばり、今の政策のどこが問題なのか。
日本の政府は、夫婦間の幸福度に焦点を当てていない。
夫婦の幸福度が高い家庭は、子供を授かりやすい。ユダヤ人やイスラム教徒の子供の数が多いのも、家族を大事にし内的な幸福を重視する伝統があるからだと思う。
一番大事なことは、夫婦間で一緒の時間があるかどうかだ。
例えば、インドは子供が多い。別に所得が多いわけではないが、夫婦間に時間がたっぷりある。
そういうことを政府は気付いていない。そこを政策として取り入れていけば、改善の道筋ができてくる。
時間の問題に関しては、安倍首相時代に残業をなくして早く帰らせるということを奨励した。だが、それで夫婦が同じ時間を共有できたかというと、そうでもなかった。
会社が忙しいと、自分だけパッと帰るのは難しく、残業につき合って帰るとかもあった。夫は途中で飲み屋に引っ掛かって家に帰るのが遅くなりがちとかもある。だが、そこに有効な手立てを立てなければ、子供は生まれない。
――参考になる国は?
フィンランドは、今は少し下がっているものの、少し前まで幸福度が高い国だった。
――なぜ高い?
フィンランドは社会保障が整っている。だから、食えなくて路上生活者になる人もいない。
社会保障は英国から始まったが、その影響を受け整えられている。
基本的に北欧は、社会保障が整備されている。長い間、歴史をかけて積み重ねた結果だ。
寒い北欧では、灯油が買えないと凍死する。だから政府が暖房システムを構築して、配給みたいなシステムで保障している。
日本では住宅手当とかは、民間企業の給料に反映されるが、北欧は住宅手当も社会保障の中に入っている。
フィンランドには出産・育児を支援する「ネウボラ」制度もある。保健師や助産婦らプロの担当者が付いて家族全体の心身をサポートしてくれる。
高速道路も白夜がある北欧では、昼間でも暗い時がある。だから一日中、高速道路の電気を付けている。そういうことをやってもらっているので税金は高いが、政府に対する満足度は高いのが北欧の特徴だ。
――北国という厳しい環境故の事情がある。
日本の場合はそういう環境にはないので、税金を高くする必要はなく社会に見合った税で十分だ。
基本的に税金の高くない方が、国民の自由度はそれだけ高まる。自由に使える可処分所得がそれだけ多くなるので、そうした社会の方が活力が生まれやすい。
税金が高くなり過ぎると、共産主義に近くなるので、国民の自由度は失われていく。
――コロナ禍は人口減少に拍車を掛けた?
世界的に相当、打撃があったと思う。外出しないし表情が見えにくいマスク生活を強いられて、恋愛度は高まりにくい社会になった。
とりわけ中国はゼロコロナで厳しい対応をし、外に出ないからその影響は大きかったと思う。経済も相当落ちているし男女の交流も少なくなったはずだ。
結婚する前の出会いのチャンスがあるかどうかが、大きな問題だ。出会いの場をいかにつくるか、今後の少子化問題の課題となっている。
日本では時間がなければ出会いもない。一番は時間があるかどうか、幸福な気持ちで出会いの機会をつくれるかどうかが少子化問題の一番のポイントになる。
――政府がそれをやる?
そうした出会いイベントなどの事業に補助金を出すということだろう。
――地方で一番出生率が高いのは?
沖縄だ。
沖縄は東京とは違った時間が流れている。30分程度待たせるのは普通で一番ひどいケースは一日待ったことがあったという。それだけゆったりした時間が沖縄には流れており、時間に追われるような生活風土がないということだろう。
さらに金曜日となると仕事そっちのけで、友人同士とか飲み会に行き、それで楽しく過ごすのが沖縄県民だ。そうすると、みんなと会ったり、ゆとりのある時間もある。だから少子化問題では、沖縄にはいいヒントが潜んでいると思う。
沖縄は所得で一番低いレベルの県だ。失業率も高い。それでも出生率は日本一だ。だから所得問題は必ずしも少子化問題とは関係がない。
――昔の日本は村社会で、盆正月にはたくさん人が集まったし、お祭りとかコミュニケーションの場もあった。独身でいると、おせっかいなおばちゃんパワーが発揮され、ほっとかれることもなかった。
戦前は「産めよ増やせよ」の政策があった。だから子供を産まなくちゃと思った。
独身者には、誰か紹介してくれた。親もどこのだれだれちゃんと会ってみたらとか、兄弟も親戚だけでなく隣近所も世話を焼いた。
そして親の紹介を重く受け止めた。親が見合いをしろと言えば、子供は大概それに従った。
戦後の自由はいいように聞こえるが、それが出生率を低める結果になった。戦後、結婚や出産はあくまでも個人の選択であり自由になったが、希薄になった人間関係も影響している。
国の方針がなくなったし、親が見合いを勧めなくなった。隣近所も紹介しなくなった。この三つの変化が大きい。
【メモ】佐藤氏は東北大学卒業後、中央大学で経済を学び直し、さらに修士・博士課程まで進んだ。その後も大学で教鞭(きょうべん)を執り、人生のほとんどをアカデミズムの世界で過ごしているが、子供には勉強を強いることはなかった。子供には「いい人間になること。その上で勉強したいのならしなさい」と常に言い聞かせてきた。学歴は社会的信用資産の一つではあるが、幸福な人生とはあまり関係がないことを実感していたからだろう。