日本は中国に「強さ」と「決意」示せ
今年は英国とアルゼンチンによる1982年のフォークランド紛争から40年に当たる。中国に脅かされる沖縄県・尖閣諸島の防衛を考える上で、同紛争から学ぶべき教訓は多い。サッチャー元英首相の外交政策研究員を務めた経歴を持つ米有力シンクタンク、ヘリテージ財団のナイル・ガーディナー氏に、領土防衛で政治指導者に求められる要素を聞いた。(聞き手=編集委員・早川俊行)
領土守ったサッチャー氏の決断力
――フォークランド紛争は英国にとってどのような意味を持つか。
英国は1950年代以降、世界舞台での衰退、自信喪失の時期に直面していた。70年代には経済的にも衰退し、「欧州の病人」となっていた。
こうした状況をすべて覆したのが、サッチャー首相だった。フォークランドでの勝利は、英国民のプライドや自信を取り戻し、世界の大国として再浮上したことを象徴するものとなった。フォークランド紛争は、英国にとってさまざまな面で極めて重要な出来事といえる。
――フォークランド諸島がアルゼンチンの侵攻を受けた時、サッチャー氏はどう対応したのか。
サッチャー氏は諸島を奪還するために、すぐさま機動部隊を発足させ、72時間以内に出航させた。これほど短時間のうちに海軍部隊を出撃させたのは、今日では想像もつかないことだ。
部隊は1万3000㌔も航行しなければならず、極めて危険な作戦だった。閣内にもこれを実行できるのか疑う者がいた。だが、事態が悪化するのを待つわけにはいかない、今すぐ行動を起こさなければならない、というのがサッチャー氏の考えだった。
サッチャー氏は常に自分の直感に従う極めて決断力のある指導者だった。世論調査には関心がない。ただ正しい決断を下す、それがサッチャー氏のスタイルだ。今の時代、このようなリーダーシップはほとんど見ることができない。
――サッチャー氏の決断の背後にあった信念は。
フォークランド諸島は英国の領土であり、そこに住むのは英国民だ。他国が英国の領土を奪い、国民を人質にすることは全く受け入れられない。一刻も早く領土と国民を取り戻すというのが、サッチャー氏の第一の原則だった。
また、サッチャー氏は常に、自由世界は悪や独裁国家に立ち向かわなければならないと考えていた。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権であり、独裁政権にこのような行動を許すわけにはいかなかった。
さらに、世界の大国としての英国の信頼を回復するためにも、これは不可欠なことだと考えた。国民が人質に取られることを許せば、英国の信頼は完全に損なわれる。サッチャー氏は、英国の権威に対し誰も立ち向かわないようにしようと決意したのだ。