伝統主義と急進主義の共存考察
「過去は一伝統の現存」
パリ・オリンピックが開幕し、世界の目が開催国フランスに注がれている。テレビでもパリやフランス文化に関わる番組が多く放映されている。フランス文化の特質・魅力を考えることが多くなるが、そんな中、E・R・クゥルツィウス著『フランス文化論』(大野俊一訳、1977年みずず書房刊)を読んで、なるほどと合点することが多かった。
エルンスト・ローベルト・クゥルツィウスは1886年アルザス生まれのドイツ人文学研究者。主著に『危機に立つドイツ精神』『ヨーロッパ文学とラテン中世』などがある。ヨーロッパ文化や文学への深い造詣を背景にした碩学(せきがく)によるフランス文化論は、両大戦の間の1930年に書かれた。日本文化の機微を捉えた批評がしばしば、隣国の韓国人や中国人から発せられるように、フランスの思想、文化に通じたドイツ人クゥルツィウスの洞察は、極めて本質的でかつ、その機微を捉えたものだ。
今回の五輪開会式では、画期的なセーヌ川での開会式など、フランスの自国文化への絶大な自信が感じられた。第1章「フランスの文化概念」を読むと、それも当然だと思わされる。著者はフランスがギリシャ・ローマに起源をもつヨーロッパ古典文明、さらにカトリック信仰の正統な継承者・完成者であるという自覚を持ってきたこと、それはフランス土着思想とも結び付きながら、フランス革命を経ても形を変えて存続してきたこと、それが国民感情と強く結び付いてきたと指摘、次のように言う。
「フランスが常に文明諸国民の指導者なりと自負していたことは、この国民感情と文明観念との密接な結び付きによって説明され得る」
フランス人が文明と同義と捉えてきたその文化の形成について、著者は自然環境、歴史的経験から分析し、思想・文学を題材に掘り下げて語っていくのである。
五輪では、エッフェル塔やベルサイユ宮殿、グランパレ、コンコルド広場など、観光名所や歴史的な建造物が競技会場に充てられている。これは、観光宣伝にもなり、施設建設の費用が浮き一石二鳥、などと簡単に考えるべきではない。最終章「フランス文化の特性」で著者はこう語る。
「フランス精神の時間に対する観念は、ドイツ精神のそれと全く異なる。フランス人が追憶と過去の中に生きる程度の強さは、我々ドイツ人の比ではない。我々にとって過去は一生成の歴史であるが、フランス人にとって過去は一伝統の現存なのである」
そして「フランスでひとたび歴史的現実となったものは、いつまでも妥当性を有する。過去が現在によって排除されることなく、その価値はすこしも減じないのである」とも。
開会式で、フレンチカンカンなどとともに首をはねられたマリーアントワネットが登場したのも、そういうことなのか、と思えば納得がいく。
もちろんクゥルツィウスは、このような過去への固執、伝統主義を認める一方でフランス革命期のジャコバン主義に代表される急進主義(ラディカリズム)の存在も見逃さない。「それにしても、フランス精神の中で伝統主義と急進主義とがこのように並び存し、両者がかくも、明瞭な姿を現わしているという事実、これは心理的には何と解すべきであろうか?」と問い掛け「伝統の力と過去の崇敬が強ければ強いほど、この重荷を振り落さんとの反撃もまた強くなるはずである」などと考察を進めていくのだ。
フランス精神の深部を見つめた本書は、フランス文化論の古典としての生命を今も保っている。
(特別編集委員・藤橋進)