【フランス美術事情】「ファン・ゴッホ、最後の数ヵ月」展/オルセー美術館

謎に迫る最晩年の2ヵ月

「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」フィンセント・ファン・ゴッホ作 1890年  Musee d’Orsay

献身的に尽くした弟テオとその妻

絵の価値を世に知らしめる

生前、1枚しか絵が売れなかった(諸説あるが)オランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホは、その個性的な生き方と、死後100年が経(た)って、作品「ひまわり」に58億円の値が付いた話題に事欠かない巨匠だ。

そのゴッホが1889年に南仏サン=レミの精神病療養所に入院し、翌年の5月に弟テオのいるパリの郊外に住むガシェ医師を頼って静養地として選び移住したのが、オーヴェル=シュル=オワーズだった。彼は療養しながらも精力的に制作を続け、2カ月後の自殺までに74点の絵画と33点の素描を制作した。

オルセー美術館では、ゴッホが死の前の2カ月間に制作した「ポール・ガシェ医師」「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」を含む、村の風景画、静物画、周囲の田園風景など絵画40点と素描約20点を展示した「オーヴェル=シュル=オワーズのファン・ゴッホ、最後の数カ月」展(2024年2月4日まで)が開催されている。

最晩年の2カ月のゴッホの軌跡は、長年にわたるゴッホ研究の集大成ともいえるものだ。同展では同時に兄を支援し続けたゴッホの弟テオの妻ヨハンナの役割の重要さを描いたドキュメンタリー映画も見ることができる。

筆者もオーヴェル=シュル=オワーズを取材し、ゴッホがピストル自殺した部屋に寂しく置かれた椅子だけのある場所を訪れたことがある。南仏サン=レミから引っ越してきたゴッホは当初、テオと妻のヨハンナ、5カ月の甥(おい)のいるパリに身を寄せたが、4日後、パリの喧騒(けんそう)を離れ、自然豊かなパリ北西郊外のオーヴェルに落ち着いた。

今でも自然は残っており、「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」には、大きな帽子をかぶるオランダ人と思える女性が描かれている。生まれ故郷オランダの風景が重なっていたのかもしれない。いつも荒々しい筆跡の彼の風景画は太陽に照らされた小麦畑の鮮やかな黄色と青く澄んだ空に包まれ、ウクライナの国旗を想起させる宇宙観が漂っている。

いくら筆が速いといっても10週間に100点の絵画と素描作品を制作した背景に何があったのか。1枚も売れないことが分かっていても描くことに病的なまでに集中した心の底を、どう理解すべきなのか。考えさせられる展覧会だ。

もう一つは、ゴッホの死からわずか数カ月で他界した弟テオの妻、ヨハンナ・ボンガー・ファン・ゴッホの存在だ。多言語を操る彼女の存在なしにゴッホが世界的巨匠となる道はなかった。亡き夫、テオから相続した無価値とされた200点以上の作品を抱え、たった1人で残された作品と膨大な数のゴッホ兄弟の往復書簡を整理し、献身的に価値を世に知らしめた。

時には、義兄の作品に取りつかれた美術の知識に無知な女として「女子高生のおしゃべり」と軽蔑されながらも、引き下がることはなく、ヨハンナはゴッホの功績と名声のために生涯を費やした。彼女は夫の遺骸を兄ゴッホの墓の隣に埋葬し直した。狂おしいほど絵を愛したゴッホは、献身的に尽くした弟とその妻によって、作品は今も輝きを失っていない。

(安部雅延)

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