最近、中国で不穏な事件が連続して起きています。それは「子どもの失踪・遺体発見」、「臓器摘出の噂」等々です。さらに同時期に浮上したのが、小学生向け教材やテストにおける「臓器提供教育」です。
河南省で広がる不穏な噂
もちろん、これらはすべてが確定した事実ではありませんが、単に「偶然」と片付けるには、あまりにも気味が悪い符合が重なっていると言えるでしょう。
浙江省の病院のある医師が、「学生らの健康診断を行う目的は、共産党指導者向けに適切な臓器を探すためだ」と語ったとのうわさも広まっています。

河南省では、以前から人身売買が多発する地域として中国国内でも度々話題になっていました。今年1月12日の朝、河南省洛陽にある龍門石窟で、“学校へ向かっていた王一淳さん(13)が行方不明”ポスターが貼りだされ、それが広く拡散。翌13日に約3キロ離れた場所で遺体発見の情報が流れました。SNSの投稿によると、臓器摘出の可能性もささやかれていましたが、「臓器摘出」に関しては、地元公安局や学校からの公式発表はなく、一次情報元はSNS投稿のみでした。
最近河南省では、こうした子供の死亡事件や失踪事件が相次いでいて、臓器売買の陰謀論が広がりやすい状況にありました。中国国内の臓器移植需要の高まりや過去の摘発事件が背景にあるのですが、その真相については不明という状況が続いていて、当局の透明性のある調査が求められています。
次にご紹介するのは、河南省で15歳の少女が、1月初旬に学校で採血検査を受けた後、1月12日に行方不明となり、1月14日に遺体で発見されるという事件が発生しました。発見時には、腎臓と心臓が摘出されていたいうことです。現在、この事件に関する動画や投稿は、すべて削除されています。
このように最近河南省では、上記2つの事件のような子どもの死亡・失踪事件が相次いでいて、SNS上では「臓器売買が行われているのではないか」という疑惑が急速に拡散しています。しかしこうした投稿や動画はことごとく削除されている状況です。
ところが、不思議なことに公安や学校からの公式的な発表はなく、一次情報はSNSのみ。ですから事の真相は確認できません。ですから世間一般では、疑念をさらに深めています。
同時期に明らかになった“不適切な学校教育”の中身
こうした状況下、抖音(中国版TikTok)で河南省のある保護者の投稿が注目を集めました。
どんなものだったかというと、8歳児向けのテスト問題で臓器提供に関する設問が3問も含まれていました。さらにその投稿のコメント欄には、四川省のあるネットユーザーが、「小学4年生(9歳)の学校指定図書教材でも臓器提供を扱い、「臓器を提供することは、国のために命を捧げるのと同等であり、それは『大いなる愛だ』」との書き込みまでありました。
添付されていた実際の投稿によると、以下は、画像内に写っている中国語全文の日本語訳です(教科書本文+下部の投稿文)。
さらに同時期の中国の課外読み物にこういう記載がありました。

(教科書本文)
付出与感激(与えることと感謝)
「愛とは何か?
ある人は言う、愛とは思いやりだと。
またある人は、愛とは気遣いだと言う。
ある人は名言を引用してこう言う。
愛とは、自分のことを考えず、それでもなお、すべてを愛することだ。
また別の人は、愛とは厳しい冬の後の春の日差しであり、長い干ばつの後の恵みの雨のようなものだと」
それに対して私はこう思う。
「愛とは与えることであり、恨まず、後悔せず、見返りを求めないことだ。愛の“与える”という行為は、時には一言の言葉であり、一枚の毛布であり、あるいは一杯の食事であることもある。また時には、一人の人間にとって最も貴重な“命”そのものであることもある。心と行動が誠実でさえあれば、それはすべて愛と呼べる。
歴史を振り返れば、多くの人が国のために命を捧げてきた。それもまた、大きな愛の表れである。
近年では、自分の臓器を提供し、子どもや兄弟、友人に移植して、彼らが生き続けられるようにする人もいる。このような与え方も、非常に称賛に値する。
私は常に思う。誰かが与えれば、必ずそれを受け取る人がいる。私たちは、人からの授与を受け取るとき…」
以上の“暴露”は、中国のSNS上に投稿されたものであり、添付画像のSNS投稿の字幕はどうやら保護者の言葉のようです。
「皆さん見てください。去年、子どもが家で大きな声で音読していて、私は本当に驚きました。私も一枚投稿します。」
・「愛とは与えること」
・「時には最も貴重な“命”を差し出すこと」
・「近年では、自分の臓器を提供し、他人を生かすことは称賛に値する」
といった表現が、小学生向けの平易な言葉で淡々と書かれていました。
問題は“臓器提供”そのものではない
ここで誤解してはいけないのは、臓器提供そのものが現在も世界各国で行われている医療行為であり、実際多くの命を救ってきたのも事実です。問題は、「誰に」「いつ」「どの文脈で」伝えるのか、ということです。

判断能力が未成熟な小学生に対し、「国のために命を捧げること」「臓器を提供すること」を同列の“美徳”として本当に教える必要があるのでしょうか? しかもそれが失踪や臓器売買の噂が広がる地域・時期が重なっているとしたら、人々が不安を抱くのは当然のことでしょう。
もし上記の“噂話”が事実無根だとしたら、どうして(中国政府は)堂々と調査結果を公表しないのでしょうか? 「善意」「博愛」「命を救う」という言葉は、時に最も強力な免罪符になることもあります。






