
ブラジルの自動車市場で中国・比亜迪(BYD)の存在感が急速に高まっている。ルラ政権の親中姿勢を追い風に、電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHEV)を中心に販売を拡大し、昨年は、月次統計の一部で日米欧の大手メーカーに肉薄する順位にまで食い込んだ。一方、その急成長の裏側では、アフターサービス体制の脆弱(ぜいじゃく)さや政治環境の変化に伴う事業リスクも露呈している。熱狂の陰に潜む構造的課題に加え、大統領選を控えた「2026年問題」が、BYDの成長ストーリーに静かな、しかし確実な影を落とし始めている。(サンパウロ綾村 悟)
かつて「フォードの墓場」と呼ばれたブラジル北東部バイーア州のカマサリ工業団地。米フォードが2021年に撤退した巨大工場跡には、いま中国EV最大手BYDのロゴが鮮やかに掲げられている。
23年の本格参入以降、同社は中国政府の補助金に裏打ちされた圧倒的な価格競争力と、デジタルガジェットのような目新しさが、環境意識の高い若年層や中間層の心をつかんで急成長を遂げた。
何より大きいのは、親中派のルラ大統領との蜜月関係だ。ルラ政権にとって、BYDの誘致は「ブラジル産業の再工業化と脱炭素化を同時に達成する象徴」であり、同社には戦略的パートナーとしての地位が与えられた。
しかし、急進的な拡大の歪(ひず)みは現場から噴出している。SNSや消費者保護機関(PROCON)にはサービス体制への不満が上がっている。最大の問題は、販売に整備網が追い付いていない点だ。部品調達を中国本国に依存するため修理に数カ月を要する事例が報告され、ブランドへの不信感を訴える購入者も出てきた。
さらにブラジル特有の強固なディーラー利権も問題を複雑化させている。保証維持のために必要な正規店による点検・修理の囲い込みで費用が高騰している。
また、中古車価格(リセールバリュー)の不透明感という問題がある。新車が極めて高価なこの国では車は重要な「資産」であり、数年後の価値が読みにくい中国製EVに対し、保守層からは「長期保有には適さないのでは」との厳しい視線が注がれ始めている。トヨタやゼネラル・モーターズ(GM)が築き上げた全土を網羅するサービス網と中古市場の安定性は、一朝一夕には模倣できない、日本や欧米勢の「見えない壁」だ。
今後、BYDが直面する最大の壁は、関税の枠組みだ。ブラジル政府は国内産業保護のため、これまで無関税だったEVへの輸入関税を段階的に引き上げており、今年7月には上限の35%に達する。これに対抗すべくカマサリ工場での現地生産を急いでいるが、関税がフル適用されるまでに、プレスや溶接、塗装までを含む「完全現地生産」へ移行し、現地調達率を高めなければ、これまでの価格優位性は失われる。
加えて、日本勢が得意とするエタノールの存在が厚い壁となる。広大な国土で充電インフラが限られるブラジルでは、サトウキビ由来のエタノールは既存のインフラを活用できる現実的な脱炭素の解だ。トヨタなどはこの強みを生かしたハイブリッド(HV)戦略で市場防衛を図る。BYDも「エタノール対応PHEV」を打ち出したが、長年同分野で技術を磨いてきた日本勢との品質競争が待ち構えている。
今年10月の大統領選も大きな変数だ。保守系野党はルラ政権のBYD優遇を「特定国への依存」と批判しており、政権交代ともなれば、これまでの特権的な事業環境は厳しく見直されかねない。多くの外資系企業が、複雑な税制や労働法、政治情勢の急変という「ブラジルのわな」に苦しんできた。キリンホールディングスの巨額損失撤退は、ブラジル市場の難しさの象徴だ。
BYDがこのわなを回避するには、販売台数ではなく、日本企業が数十年かけて築いたような「信頼」と「サービス網」という泥臭い現地化を完遂することが必要だ。カマサリ工場を南米のハブとして確立できるのか。それとも、政治の季節が終わるとともに熱狂も冷め、ブラジルのわなにのみ込まれるのか。26年、ブラジルの大地で、中国製EVは試練に立たされている。






