【サンパウロ綾村悟】南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日、自宅で死去した。86歳だった。長女で有力政党フエルサ・ポプラルの党首ケイコ氏が、ソーシャルメディアを通じて明らかにした。遺体は首都リマの国立博物館に安置された後、14日にリマ郊外の墓地に埋葬される。
ケイコ氏は、フェイスブックに「父は長いがんとの闘病の末にたった今、主に会うために旅立った。お父さん、本当にありがとう」と、家族連名で投稿した。
フジモリ氏は、大統領在任中の人権侵害の罪で2009年に禁錮25年の実刑判決を受けてリマ郊外に収監されていたが、23年12月に恩赦を受けて釈放された。今年7月には、次期大統領選挙への出馬を示唆するなど、政界復帰への意欲を示していた。
フジモリ氏は、熊本県出身の日系移民の両親の下に1938年にリマで生まれた。国立農業大学の学長を経て、新党を結成して90年の大統領選挙に出馬、南米初の日系大統領として当選した。
大統領に就任したフジモリ氏は、大胆な民営化などを通じてハイパーインフレを抑えて経済を立て直し、極左武装ゲリラが引き起こすテロによって混乱していた国内治安を改善した。貧困層への支援や教育の充実化を進め、支持基盤を強化した。
96年に発生した左翼ゲリラによる日本大使公邸人質事件では、特殊部隊による突入を決断して多くの人質を救出。10年間の在任中に多くの功績を残した。
一方で、フジモリ氏の政治手法に関しては、92年に議会を強制的に解散するなど、強権的と批判されることもあった。現在も、ペルー国内でのフジモリ氏に対する評価は二分している。
フジモリ氏は2000年に側近の汚職事件をきっかけに大統領を辞任した。日本での亡命生活などを経て政界復帰を目指したが、帰国途中のチリで拘束され、07年にペルーに送還された。09年には、国軍部隊が左派ゲリラを取り締まる中で市民を殺害した事件に関与したとして、禁固25年の実刑判決を受けた。
収監中は舌がんやうつ病などに悩まされた。17年に健康状態の悪化などを理由に大統領令による恩赦が与えられて釈放されたが、最高裁判所の命令によって恩赦が取り消されて19年に再度収監された。
フジモリ氏が最終的に恩赦を受けて釈放されたのは昨年12月。今年5月には舌がんが再発するなど健康問題を抱える中で、最期は家族に見守られながら旅立った。