
【サンパウロ綾村悟】「サッカーの王様」と呼ばれた元ブラジル代表のペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)氏が29日午前、サンパウロ市内の病院で死去した。死因は、結腸がんの転移による多臓器不全。82歳だった。
ペレ氏は、昨年9月に結腸腫瘍の摘出手術を受けており、その後も化学療法などを受けていたが、先月29日に再入院した。医師団が今月21日、がんの進行が進んでいること、さらに心臓と腎臓に問題を抱えていることを発表していた。
ペレ氏の死去を受けて、ブラジルのほぼ全てのメディアがトップ記事として報道、生前の功績をたたえながら、各界からの追悼のメッセージなどを掲載している。
ブラジル代表のエース、ネイマール選手は、自身のインスタグラムを通じて「ペレがサッカーを単なるスポーツから芸術やエンターテインメントに変えた。ブラジルを世界に知らしめた。ペレよ永遠に」などとたたえた。
また、カタール・ワールドカップ(W杯)でアルゼンチン代表を36年ぶりの優勝に導いたメッシ選手は、ペレと2人で写っている写真をインスタグラムに投稿、「ペレよ、安らかに」と書き込んだ。
ペレ氏は、1956年に15歳でサンパウロ州の名門クラブ「サントスFC」に入団し、その年に公式戦デビューした。58年には、当時、史上最年少の17歳でW杯に出場すると、準決勝のフランス戦でハットトリックを決めるなど大会6得点と活躍、ブラジル代表の初優勝に貢献した。70年までに4回のW杯に出場し、ブラジルに3度の優勝をもたらしている。
一方、77年に米国のクラブ、ニューヨーク・コスモスで引退するまで、公式戦と親善試合を合わせて1281得点を記録、その卓越した技術と華麗なプレースタイルから「サッカーの王様」「20世紀最高のサッカー選手」などと呼ばれる。
また、ペレ氏は、サッカーを通して世界に影響を与えた。69年に「サントスFC」が行ったアフリカ遠征では、「ビアフラ戦争」など内戦状態にあったアフリカの国々が、ペレさんが出場する試合を観戦するために休戦や停戦を行うなど、異例とも言える対応を取った。
引退後には、国連児童基金(ユニセフ)の親善大使を務めるなど、幅広い社会活動を行った。98年には、サッカーの功績と社会的貢献などが認められて英国政府から大英帝国勲章を授与されている。
ペレ氏の葬儀は、1月2日に「サントスFC」のスタジアムで行われる予定。