
【リマ時事】南米ペルーの首都リマで1996年12月に発生した左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」による127日間にわたった日本大使公邸占拠事件は、97年4月の終結から間もなく25年を迎える。舞台となった公邸跡地は2012年に地元企業に売却されたが、今も更地のまま。当時をしのばせるのは取り壊しを免れた白塀と、門や警備員詰め所にうがたれた弾痕のみで、現地では事件の記憶が風化しつつある。
現在跡地を所有する企業の社員は、何もない約6200平方メートルの一等地を前に「現時点では何の利用プランもないようだ」と話した。長年放置されている理由を問うと、「知らない」と首をすくめた。
隣接する会社で働くガブリエル・パレデスさん(35)は「日系人なので事件は知っていたが、最初、ここだったとは気付かなかった」と述べた。一方で「治安面で心配だ。何もない敷地側から泥棒に入られた家もある」と不安を口にした。
跡地から100メートルほど離れた中華料理店に勤めるジャハイラ・ロハスさん(29)は「(大使公邸事件は)知らない。過去にはテロが多発したようだが、話題に上ったこともない」と無関心。若い世代では、当時世界の注目を集めた事件を知らない人が増えていることをうかがわせた。

一方、ペルー軍にとっては、特殊部隊員に2人の死者と10人の重傷者を出したものの、人質72人中71人を生還させた突入作戦「チャビン・デ・ワンタル救出作戦」は輝かしい歴史だ。事件当時、突入部隊の訓練や仕掛ける爆薬の実験のため、市南部の軍施設内につくられた公邸レプリカは博物館となって一般にも公開されている。
訪れた4月7日は、海軍の若い兵士ら数十人がバスで見学に来ていた。ジョン・カセレス1等伍長(24)は「事件のことは、教練で習っていた。軍に属する者として誇りに思っている」。グレイ・コラル1等伍長(25)は「その時、私が居たらどうしただろうと思いながら見学した。またこのような事件が起こった場合は、人質を救出するために作戦に参加したい」と胸を張った。