
南シナ海を巡るフィリピンと中国の緊張は、ここにきて新たな段階に入っている。昨年12月中旬、中国海警局の船が使用した放水銃により、フィリピン人漁師3人が負傷する事件が発生するなど、中国側の威嚇行為が明確にエスカレートしているからだ。監視拠点への補給任務や漁業活動への妨害は以前から続いていたが、民間人に直接被害が及ぶ事態は、主権と生活の両面で国民の不安を強く刺激した。
フィリピン政府はこれを「違法かつ危険な行為」と非難し、国連海洋法条約(UNCLOS)違反だと訴えている。2016年の仲裁裁判で、中国の「九段線」主張に法的根拠はないと判断されたにもかかわらず、中国はこれを認めず、力による現状変更を続けている。軍事力で劣るフィリピンにとって、国際法と多国間外交は不可欠な防衛手段だ。
緊張は南シナ海に限らない。台湾周辺での中国軍の大規模な軍事演習を巡り、フィリピンのテオドロ国防相が深い懸念を表明したのに対し、在マニラ中国大使館は「台湾問題は中国の内政問題」として強く反発した。フィリピン側は、台湾情勢が地域の平和と安定に直結する以上、国際法と自制を求めるのは当然だとの立場を取っている。台湾有事は、地理的にもフィリピンに直接的な影響を及ぼしかねない現実的リスクだからだ。
困難を伴う対中政策だが、フィリピンにとって朗報もある。米国議会は、南シナ海およびインド太平洋地域で緊張が高まる中、フィリピンへの新たな安全保障支援として25億㌦を承認した。これにより、マニラに対する複数年にわたる軍事資金援助が正式に確定し、対中抑止力の強化が現実のものとなりつつある。
また日本からも、政府安全保障能力強化支援(OSA)による沿岸監視レーダー(約6億円相当)がフィリピン海軍に供与される。海空域監視能力の底上げが期待されている。
加えて見逃せない朗報がもう一つある。近年、フィリピン国内では共産系武装組織やイスラム過激派などの反政府勢力の掃討が着実に進んでいる。長年続いた国内の治安対策は一定の成果を挙げ、国軍は内戦型の対処から、主権と領土を守る本来の国土防衛任務に集中できる環境が整いつつある。これは対中抑止を考える上で、極めて重要な地盤整備と言える。
さらに注目すべきは、対中政策におけるフィリピン国内の世論と政治の一致だ。左派政党やリベラル系政治家も存在するが、中国への対応を巡っては、国家主権と領土防衛という一点で、大きな対立は生じていない。南シナ海での中国の行動が、抽象的な外交問題ではなく、「現実的な脅威」として国民に共有されているためだ。
政権から距離を置くリベラル系の下院議員でさえ、中国による漁民への威圧行為に対しては、沿岸警備隊に加え国軍の活用を求めるなど、対中抑止を巡る危機認識が党派を超えて形成されていることを示している。
この状況は、日本の一部メディア、特にテレビを中心とする旧来型メディアの姿勢と対照的だ。日本では自国政府の発表は過度に疑われる一方、中国側の主張がほぼ無批判に引用され、政権批判の材料として消費される場面が少なくない。中国の圧力を日常的な脅威として受け止めているフィリピンの現状から見れば、こうした報道姿勢の歪(いびつ)さは否応(いやおう)なく浮かび上がる。
マルコス大統領は、2026年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国就任を見据え、南シナ海問題を外交の最重要課題に位置付けている。昨年10月にクアラルンプールで行われたASEAN・中国首脳会議での「協力は強制と両立しない」との発言は、中国の威圧的行動を牽制(けんせい)すると同時に、法の支配に基づく地域秩序を守る意思表明でもある。
今後のフィリピンは、米国との同盟強化を軸に、日本や欧州諸国とも連携しながら中国と対峙(たいじ)する構えだ。軍事力ではなく、国際法と世論、多国間外交を武器に中国リスクに臨む。その姿勢は、日本が置かれた状況と重ね合わせることで、見えてくる点も少なくない。
(マニラ・福島純一)
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