暫定政権トップにノーベル賞ユヌス氏 暴動鎮静化へ難しい舵取り -バングラデシュ

米ニューヨークでスピーチするムハマド・ユヌス氏 2013年9月28日、UPI

バングラデシュのシェイク・ハシナ首相が5日、突然の辞任に追い込まれた。ハシナ氏はヘリコプターで隣国インドに脱出し、英国かフィンランドに亡命するという。総選挙実施までの暫定政権には、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏が最高顧問として就任する。(池永達夫)

ハシナ氏を首相の椅子から追いやったのは、学生たちが要求した公務員枠の撤廃だった。これは建国の父アブドラ・ラーマンが牽引(けんいん)した独立戦争で亡くなった遺族の子弟が公務員の特別枠で優遇され、不公平という主張だった。すでに独立戦争から半世紀近くたっている上に、何より若者の失業率が高くなっている中、国民的共感を生んだ。

ただハシナ氏の国家発展への寄与度は、高いものがあった。

バングラデシュといえば、世界最貧国の代名詞のように使われてきた歴史があるものの、ここ10年の成長率は7%前後と非常に高い。

主導したのは15年間、首相の座にあったハシナ氏だ。世界から投資を呼び込み、繊維産業をベースに経済発展を遂げてきた。低所得国から脱却し、下位中所得国となったバングラデシュは今年中にも、後発開発途上国(LDC)から正式に卒業する見込みだった。

だが、その光の陰に強権統治という負の側面もあった。

年初に行われた総選挙では、野党幹部を大量に逮捕した。ハシナ氏率いる与党アワミ連盟が圧勝したのは、国民の圧倒的支持というよりは野党が総選挙をボイコットしたためだった。

危惧されるのは報復の連鎖だ。

7日付インディア・タイムズは、アワミ連盟の幹部や家族など29人が、暴徒によって殺害されたと報じた。

これまでのハシナ政権の強権と抑圧に対する反発が、そのまま暴力的に露呈した格好だ。

野党や学生運動家が、これからは自分たちの時代だと錯覚し、「目には目」「力には力」とばかりに、仕返しに走ってこれまでの鬱屈(うっくつ)を晴らすだけでは国は前進しない。

こうした状況を鎮静化させるには、軍による武力を盾にするしかないが、それだけでは新たな不満の火種は消えず、暴発はいずれ起きかねない。

その意味では暫定政権のリーダーシップに懸かっているわけで、暫定政権最高顧問に就任するユヌス氏の腕の見せどころとなる。

ユヌス氏はもともと、経済学を専門とするアカデミズムの世界に生きていた。だが、バングラデシュは貧しく、人が飢えて目の前の歩道や玄関の前で死のうとしているのに、エレガントな経済理論が何の役に立つというのかと、象牙の塔から生きた経済学を求め脱出。その新天地が、ノーベル平和賞受賞の理由にもなったマイクロファイナンスだった。これは平均150㌦という無担保小規模ローンで、主な貸し出し相手は貧しい女性だった。そうした「グラミン銀行」創設者のユヌス氏は1月、労働法違反の罪で有罪判決を受けた。ユヌス氏は政界進出を目指したことがあり、国民的人気を脅威に感じたハシナ氏側が政敵とみなし圧力を加えたとされる。

ユヌス氏はザマン陸軍参謀長など軍や野党、それに学生団体などさまざまな政治力が絡み合う暫定政権を、どう牽引していけるのか、悲願の首相に就任するための「入試」が待ち受けている格好だ。

ユヌス氏は8日、「亡命先」のフランスからダッカへ戻った。一方、ハシナ氏はインド経由で英国もしくはフィンランドに亡命する。

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