【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(16) 敗退の予兆(中) 対日反攻の早さ読み誤る 米軍の戦闘意欲の高さも侮る

日本を空襲したドウリットル中佐のB25爆撃機隊

日本軍の真珠湾奇襲攻撃を許した責任を問われ、キンメル米太平洋艦隊司令長官は解任され、昭和16年12月末、後任のニミッツ大将が着任した。破壊された戦艦群を目の当たりにし、ハワイの太平洋艦隊司令部は呆然(ぼうぜん)自失、米兵の意気もどっぷりと沈んでいた。

そうした状況の中で、ニミッツの積極的な性格や自信に溢(あふ)れた立ち振る舞いは、敗北感に覆われていた太平洋艦隊に活気を取り戻させた。そして日本に対する反攻、徹底抗戦の燃え立つような闘争心が湧き上がってくる。開戦通告の遅れから、騙(だま)し討ちの汚名が日本に帰せられたが、たとえ野村大使のハル米国務長官への通告が真珠湾攻撃の直前であったとしても、日本に対する米国民の怒りは変わらなかったであろう。この国の多くの人が教会に出掛ける日曜日の早朝を狙った攻撃ほど彼らを刺激し、激怒させる作戦はない。

ところが日本は、こうした米国民の強い怒りや対日反攻に燃える米軍の精神状況に恐ろしく鈍感であった。この国の工業力や造修の能力も軽視していた。それゆえ真珠湾で主要な戦力を粉砕された米海軍が反撃に出るのは当分不可能で、態勢を立て直し本格的な対日反攻作戦が始動されるのは、早くて昭和17年暮れか18年以降と踏んでいた。この日本海軍の戦局に対する見誤りや楽観論が、後の苦戦を招く結果となる。

ニミッツ艦隊の蠢動

マーシャル諸島や南鳥島を襲った米空母エンタープライズ

着任早々、ニミッツは反撃に動く。戦艦は大きな被害を受けたが、その他の水上艦艇は健在で、特に空母が無傷だったことが米海軍に幸いした。ニミッツは早速日本の戦法を真似(まね)て三つの機動部隊を編成し、日本の防備手薄との潜水艦からの情報を基に、太平洋島嶼(とうしょ)部への連続的な奇襲攻撃を開始する。日本軍のウェーキ攻略はミッドウェイから真珠湾へ、またマーシャル、ギルバート諸島の占領はフィジー、サモアに向け進撃する前触れと判断、日本軍の東進を阻むべく攻勢に出たのである。

昭和17年2月1日、ハルゼー中将指揮の第8任務部隊(空母エンタープライズ基幹)とフレッチャー少将指揮の第17任務部隊(空母ヨークタウン基幹)の艦載機がマーシャル諸島のヤルート、ミリ、ウォッゼ、マロエラップ、クェゼリン、さらにギルバート諸島のマキンにある日本軍基地を空襲、14日にはハルゼー機動部隊がウェーキ島を襲った。20日には、ブラウン中将指揮の第1任務部隊(空母レキシントン基幹)がラバウル東方海域にまで進出し、ラバウル空襲を企図した。ラバウルは1月23日に南海支隊が占領し、基地を設営したばかりであった。

ニミッツ米太平洋艦隊司令官

さらに3月に入るとハルゼー部隊は南鳥島を空襲、また第1、17任務部隊の艦載機約60機がニューギニアのラエ、サラモアに停泊する日本の輸送船11隻などを撃沈破した。そして4月にはドウリットル中佐が日本本土空襲を敢行し、軍首脳や国民に衝撃を与えた。

日本海軍は開戦後、各方面の戦線を急速に拡大させ、防備体制が整っていなかった。そこを突いて米海軍は、戦力劣勢ながらも果敢に太平洋各地の日本軍基地をヒットエンドラン戦法で攻撃。神出鬼没で素早い動きに翻弄(ほんろう)された日本軍は、米空母部隊の補足、攻撃に手こずった。野放図に戦線を広げたがる日本海軍の悪癖を、早くも米軍に突かれたのである。

失態反復し戦力消耗

真珠湾攻撃の際も、日本の予想以上に米軍の反撃は早かった。特に第2次攻撃隊は中国戦線では経験したことがないほどの激しい対空砲火を浴びせられた。ウェーキ島攻略戦でも、米海兵隊は寡兵にもかかわらず肉弾戦に持ち込み、日本の上陸部隊に大出血を強要している。

民主国家アメリカでは厭戦(えんせん)気分が横溢(おういつ)し、レディーファーストで女性に甘い米兵は軟弱で戦闘意欲に欠けるといった戦前の日本の推測がまるで見込み違いであったことは、開戦後の早い段階で知り得たはずだ。現に真珠湾攻撃や珊瑚(さんご)海海戦に参加した搭乗員らは、開戦前から一転、「米軍侮れず」の意識を抱くようになっていた。

だが、連戦連勝の報道に酔った国民だけでなく、戦争のプロである海軍上層部も「米軍弱し」の固定観念に縛られ、頭の切り替えができなかった。その恐ろしいばかりの工業力に加え、米軍の戦闘意欲や士気の高さをも侮り、対日反攻の早さを読み誤る愚はその後、幾度も繰り返された。ガダルカナルでは易々(やすやす)と米軍の上陸を許し、奪還に失敗する原因ともなった。

米軍の素早い反攻が見通せず、防御が後手に回り、攻撃を受けるや慌てふためく失態の反復は、ソロモン、ニューギニアの戦いでボディーブローのように日本の戦力を奪っていった。米国に対する無知に加え、少し優位に立つと忽(たちま)ち増長高慢となり、相手を見下す日本人の悪癖は、欧米に対する根深いコンプレックスの裏返しによるものだろうか。

初戦での問題はまだある。真珠湾攻撃後、間髪を入れず再度南雲機動部隊を東進させ、太平洋正面に米空母部隊を誘出、その殲滅(せんめつ)を画さなかったことだ。米海軍が苦しい状況にあった昭和17年初頭、インド洋作戦などに虎の子の機動部隊まで投入し、その戦力と時間を浪費し、米海軍に立ち直りと反攻の機会を与えたことは日本海軍の戦略的大失策である。当面米海軍は攻勢には出られまいとの安易な判断が影響していたが、これは山本五十六の作戦指導に関わるテーマでもあり、戦略家としての彼の評価を試みる際に改めて詳述したい。

(毎月1回掲載)

戦略史家 東山恭三

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