欧米制裁の間隙突き中露接近
ミャンマー国軍が力で実権を掌握してから今月1日で丸1年を迎えた。クーデター政権は強権統治の鞭(むち)を反政府運動に容赦なく振り下ろし、1年間で死者1500人を出し逮捕者は1万2000人を超えた。それでもいまだクーデターは成功したとは言い難い状況だ。何よりSNSを駆使した民主派勢力の情報発信力が注目される。(池永達夫)
昨年2月1日のクーデター後、国軍は国内外の反発は時間が解決してくれると踏んでいたふしがある。何より国軍の読みの甘さを露呈させたのは、抵抗姿勢を示す国民的意思の高揚を見誤ったことだ。
軍政から民政に移ったミャンマーで10年間、民主主義と自由な空気を堪能した国民は、今さら昔の軍政に戻りたくないという軍政拒否感が共有された格好だ。

都市住民だったサラリーマンや青年が、手製の地雷などを中古のバイクに乗せジャングルに入るなど、軍政と戦う姿勢を見せた。こうした反政府民主派を少数民族武装勢力が受け入れている。
19世紀後半から英国の植民地だったミャンマーは、その地域分断統治により国としての一体感が失われ、民族紛争の種が温存された歴史がある。その歴史的くびきをクーデターによる軍政復活が、皮肉にも解き放った格好だ。
「沈黙のストライキ」と呼ばれる、公務員など市民の軍政への不服従運動も顕著だ。クーデターがもたらした恩恵があるとすれば、ミャンマー国民を団結させたことかもしれない。
この団結をもたらす決定的要因となったのが、フェイスブックやツイッターなどのSNSだ。民主化を希求する人たちが、国軍の容赦のない弾圧をSNSで発信するだけで、情報は仲間同士で共有されるだけでなく世界にも伝わっていった。
過去半世紀にわたる国軍の弾圧を伴った強権統治は鮮明だったが、その強権発動の血なまぐさい現状が写真や映像として人々に衝撃を与えている。国民に真実を伝えるプレスは、国家的危機の中で大きな役割を担うが、現場の民主派勢力1人1人が手にするスマホで写真や動画を撮り、状況説明を活字や音声で伝えた。
無論、スマホのレンズを向けただけで兵士から撃たれかねないリスクを背負っての作業だ。この作業を専門のジャーナリストではなく、市井(しせい)の国民が代行している。
なお世界を駆け巡るSNS情報だけでなく、ネット社会以前の短波ラジオ、FMラジオといったミニ媒体も復活している。これが意外と住民パワーを押し上げるツールになっているところが、いかにもミャンマーらしい。中国製ではあるが、簡単なラジオはミャンマーでは1台1ドルで入手可能だ。どの家庭にも存在するこの電波媒体を使って、ダイレクトに住民に情報発信できるところが強みだ。
無論、軍政によるネットワークや電波の遮断による情報網破壊工作は日常茶飯事だが、遮断の手をかいくぐって新たなツールを立ち上げる民主派勢力のサバイバルパワーも侮れない。いずれにしてもクーデターはいまだ完了していない。非情事態宣言を半年延長した軍政が圧倒的なその軍事力で押し切ろうとすれば、膠着(こうちゃく)状態が続く可能性が高い。
ベトナム戦争が終結を迎えたのは、「茶の間の戦争」になったからだ。ベトナムのジャングルで血を流す米兵の姿が、米家庭のリビングに置かれたテレビで放映され、厭戦(えんせん)気分が一気に醸成されたことが大きかった。現在のミャンマー情勢も、軍のミリタリーパワーVS民主派情報発信という構図があることを見誤ってはならない。
ただ、クーデター政権を認めない欧米諸国が下した経済制裁の間隙(かんげき)を縫う形で、国軍関与を深め自陣営組み込みを図ろうと動いている中露は要注意だ。有事にインドシナ南部の流通回廊を遮断されるマラッカリスクを抱える中国にとって、雲南省からインド洋に陸路で抜けられるミャンマーは地政学的な要衝だし、ロシアにとっては有力な武器輸出市場だ。