20世紀抽象彫刻を代表するブランクーシの究極の形
ロダンと同時代のルーマニア出身の彫刻家
パリと東京で同時に大回顧展
20世紀にパリを拠点に活躍したルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシは、同じ20世紀に大きな足跡を残したオーギュスト・ロダンに比べれば、フランスでも日本でも知名度が高いとは言えない。ところが、くしくもパリと東京で同時にブランクーシの大回顧展が開催され、その作品群は21世紀に大きなインパクトを与えている。
パリのポンプドゥー・センターでの回顧展は1995年以来で、日本での個展は初めてということで、20世紀に大きな転換期を迎えた彫刻の世界の中心人物に、日仏二つの美術館が引き寄せられたといっても過言ではない。ロダンのアトリエを短期間で離れたブランクーシの芸術家としての信念が再評価される時が来たと言えそうだ。
不思議なことに21世紀の今、素材を生かしたブランクーシ作品を見ると、とても新鮮で、特に動的要素が感じられ、同時にブランクーシが捉えた存在物の「本質」が、強い説得力を持つ普遍性につながると思うのは日本人の筆者に限ったことではないだろう。
技術を競い合った19世紀中葉までの彫刻家は、絵画同様、作家個人が自分と向き合うことで、職人から芸術家へと変貌していった。ロダンが人間の内面を作家の解釈から表現し、ジャコメッティは苦悩する人間の実存的内面を作品にした。一方、特に抽象彫刻はモチーフの再現よりは象徴的表現で存在物の本質や観念を表現する方向に向かった。
ブランクーシは自身の作品について「抽象ではなく本質を表現した具象だ」と語っている。これはブランクーシのすべてを言い表しているといえそうだ。ポンピドゥー・センターの「ブランクーシ、芸術はまだ始まったばかり」展(7月1日まで)では石膏(せっこう)、石、青銅の彫刻200点、図面、写真、映画、家具、道具などを含む約400点の作品が集められている。回顧展では、展覧会のために部分的に復元された彫刻家のアトリエも見学できる。
近代彫刻家の特徴は、ブランクーシを含め、彼らが20世紀の二つの大戦を経験し破壊と死が身近にあったことだ。その環境が物事の本質を見極める彼らの感性を磨いた。今は世界中が戦争の危機にさらされており、そのカオスと不安から本質を問う芸術家が出現する可能性もある。
では、存在物の本質とは何を意味しているのか。一神教の考えでは、自然界のすべての存在物は唯一無二の人間を超越した神が創造したとあることから、人間を含めたすべての被造物の本質は、神の意図がどこにあるのかを追求することにあった。無論、科学が発達した産業化社会では美の本質で神の意図を追求することは希薄となった。
ブランクーシはロダンと決別して以降、伝統的西洋美術からも抜け出し、非キリスト教圏で当時は非文明圏と見られた地域の美術に関心を持ち、多くの作品に反映されている。彼独自の本質の探究の姿勢は、極めて20世紀的だが、ゼロベースでの開拓的な真理探究の姿勢こそ、新たな観念と地平を見いだす鍵を握っていたと言える。
同時にブランクーシの作品が21世紀の人間になぜ共感を与えるのかと言えば、作品からにじみ出る人間としての温かみだ。代表作の一つ「眠れるミューズ」は無駄を一切なくしたシンプルさに人間の本質を感じさせる。また「接吻」は男女の一体感のエネルギーを感じさせる。
(安部雅延)