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フランス美術事情 「太陽に向かう芸術界のスター」展

風景画に見る西欧の自然観

神が人間に与えたもの

「フォンテーヌブローの森」クロード・モネ1865年作、メトロポリタン美術館所蔵 Wikimedia Commons/Claude Monet

風景画の起源は東洋の方が古く、中国の山水画は西欧の風景画より1000年以上も早いといわれている。それだけでなく、山岳に霊的・精神性を求める中国人の自然観が反映された東洋の風景画は、自然を神が人間に与えたものとするキリスト教の自然観とは大きく異なる。

今は、行き過ぎた産業化社会が生態系や気候に悪影響を与えたとして、西欧でも自然回帰の運動が高まっているが、西欧には自然崇拝や全ての物に霊魂が宿るというアミニズムの考えは希薄だ。とはいえ、風景画は西洋美術の独立したジャンルとして確固とした地位を得ている。

今、パリのマルモッタン・モネ美術館で開催されている「太陽に向かう芸術界のスター」展は(2023年1月29日まで)は、風景画を好んで描いたフランス印象派の巨匠、モネ、英風景画の巨匠、ターナー、さらには「エトルタの崖、嵐のあと」で知られるフランス19世紀の画家、クールベの作品を通して芸術家と太陽の関係を探求している。

今年は「印象派」の名前の由来となったモネの「印象、日の出」(1872年作)が発表されて150年が経(た)つ。今でも美術市場で不動の評価と高額取引がされている印象派絵画の出発点の作品は、ルアーブルの港を描いた風景画だ。

同展は芸術が太陽と向き合った古代エジプトから現代アートに至るまでの作品で、まばゆい太陽の光と芸術の関係をひもといている。太陽は自然の一部で同時に人間と自然の生存に欠かすことができず、時にはミステリアスで、ギリシャ神話に太陽神アポロンとしても登場する。フランス国王ルイ14世(17世紀から18世紀)は国民を照らす太陽王と呼ばれた。

実はフランスの風景画の発展にルイ14世は欠かせない存在だ。その舞台となったのはパリ首都圏の中で最も広大な森のある歴代国王の愛したフォンテーヌブローだ。同森でコローやミレーなどのバルビゾン派の画家が名作を残したことがフランスの風景画の地位を固めることに貢献した。

狩猟は最高の高貴の活動であり、フォンテーヌブローを王室が所有する特別な狩猟の森にしたのは、フランソワ1世(16世紀)だった。ヨーロッパ人を狩猟民族と呼ぶのも、神が人間に与えた自然を支配する象徴が狩猟にあったことを意味している。そのフォンテーヌブローが西洋美術の風景画の出発点となった。

狩猟を楽しんだ王侯貴族が目にした森の自然は宗教画からの移行期にあったルネサンス絵画に反映されるようになった。かつて聖書に登場するイエスや聖人たち人物像を描く背景でしかなかった自然は、17世紀には光が注目され、18世紀にはロマン派以降の風景画の全盛期を迎え、19世紀には自然の変化や時間軸まで含めて描き出す近代風景画に変化した。

同時にかつては人間中心に描かれた絵画の添え物だった風景画は、東洋と西洋が接近した19世紀、長年、自然に注目し独立した価値を付与してきた日本画と接近した。自然への感性の高い日本人の北斎や広重の風景画は、西洋絵画に大きな影響を与えたのは時代の必然だったのかもしれない。

(安部雅延)

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