帝国の理念受け継いだロシア
法の下の西洋の領主と農民
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今年の復活祭の日、4月23日の深夜、ロシアのプーチン大統領はモスクワの救世主キリスト大聖堂で祈りに参加した。モスクワ総主教キリル1世に宛てた祝賀書簡では、ロシア正教が果たしてきた伝統的、道徳的、家族的価値の促進を称(たた)えたという。
同じその日にウクライナ南部オデッサで爆撃があり、生後3カ月の乳児を含む8人が死亡し、西側の人々の悲しみを誘った。このような出来事を振り返ると、独裁者イワン雷帝らのロシアの歴史が思い出され、西洋キリスト教世界とロシア正教の世界がどこで決別していったのか、思い起こされる。
カトリック教会のフランシスコ教皇がロシアのウクライナ侵攻について、一貫して停戦を呼び掛けてきたのに対し、キリル1世は「退廃文化を享受する欧米社会に対するロシア側の戦い」と述べて、評価は正反対。
ヨーロッパとロシアとの違いを都市類型という観点から最初に論じたのは社会学者マックス・ウェーバーだ。ヨーロッパとは何かという主題は、オーストリアの歴史学者オットー・ブルンナーに受け継がれ、日本の中世史学者、増田四郎も研究の主題に据えた。
増田の生涯を懸けた研究の結論が、著書『ヨーロッパ中世の社会史』(講談社学術文庫)に盛り込まれている。結論はこうだ。「ヨーロッパの中世は、ローマ世界帝国の否定という大きな成果を、実に千年かかって成し遂げた」。その過程で部族国家、封建国家、あるいは等族国家などの形を示したが、到達したところは「国民」という新しいまとまりに立つ国家で、「それは二度と世界帝国をつくらない独自の個性をもったもの」。
「ヨーロッパが演じた世界史的な意味は、結局のところ、民衆の中にデモクラシーという精神を育て、それを守り抜く途を歩んだことだ」と。国民国家の議会制と民主主義、この二つの成果こそ非常に大切だと強調した。
それを導き出したのは、中世を通じて農村でも都市でも同様に見られた支配者と被支配者の関係。
ブルンナーが「ヨーロッパの農民」や「ヨーロッパの市民とロシアの市民」(『ヨーロッパ―その歴史と精神』岩波書店)で、支配は双務関係で「誠実」の上に成されるもので、当事者の一方、例えば領主が義務を履行しない場合、誠実関係、支配関係は消滅するというもの。ここには抵抗権が存在した。
領主と農民は共に法の支配の下にあり、根本理念は人間の意思の届かない、神聖で不可侵な秩序にあった。これを導いたのは決着のつかなかった教皇権と皇帝権の闘争で、権利と自由の実効性を保つ合理的な法体系を可能にする道を開いたという。
ロシアの場合、ビザンツ帝国から権力理論を引き継ぐことで、専制政治が主流を形成した。ツァーリが法源なのだ。そのためロシアの封建制は、給地が家臣関係・誠実関係の原因とはならず、農民はひたすら領主に尽くすごとく、ツァーリに対する厳格な服属を生み出した。
ドイツ語のブルクも、ロシア語のゴロドも、同じ都市を意味したが、ウェーバーは、西洋に見られる団体としての性格がロシアでは欠落していたことから、ロシアの都市を「東洋的」と類型化した。西洋とは異なった歴史を背負ってきたロシアなのだ。
(増子耕一)